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2012年04月14日 22:45

おこま婆 (頷いて)川上の幾世の渡しに枝垂れ桜が一本あるだろ? お冬は、そのへんに生えている仏座や菘であんだ草紐を、あの枝垂れ桜の枝にかけようとしてよじ登ったらしいのさ。そしたら、つれない枝だよ、ぽきんと折れて、あの娘は草紐を手にからませたまま新川の流れにまっさかさま。着物の裾が大きくひろがって、白い躰が緑色の水に浮いては沈み、こんなことをいっちゃなんだけどとてもきれいだったそうだよ。そしてしばらくのあいだお冬は流れに押し流されながら歌を口遊んでいたらしいよ。/[…]自分が死ぬのを知らぬ気に、とても明るい声だったってさ。/[…]だがそれもわずかなあいだ。やがて急に水をたらふく飲み込み、ぶくぶくっと沈んだかと思うとそのまま川底へ……
井上ひさし「天保十二年のシェイクスピア」(『井上ひさし全芝居 そのニ』(株)新潮社、1984年、89-90頁所収)。
2012年04月14日 22:26

【花のたましい】
金子みすゞ
散ったお花のたましいは、
み仏さまの花ぞのに、
ひとつ残らずうまれるの。
だって、お花はやさしくて、
おてんとさまが呼ぶときに、
ぱっとひらいて、ほほえんで、
蝶々にあまい蜜をやり、
人にゃ匂いをみなくれて、
風がおいでとよぶときに、
やはりすなおについてゆき、
なきがらさえも、ままごとの、
御飯になってくれるから。
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2012年04月05日 22:30

【憂鬱なる花見】
作 萩原朔太郎
憂鬱なる桜が遠くからにほひはじめた
桜の枝はいちめんにひろがつてゐる
日光はきらきらとしてはなはだまぶしい
私は密閉した家の内部に住み
日毎に野菜をたべ 魚やあひるの卵をたべる
その卵や肉はくさりはじめた
遠く桜のはなは酢え
桜のはなの酢えた匂ひはうつたうしい
いまひとびとは帽子をかぶつて外光の下を歩きにでる
さうして日光が遠くにかがやいてゐる
けれども私はこの暗い室内にひとりで坐つて
思ひをはるかなる桜のはなの下によせ
野山にたはむれる青春の男女によせる
ああいかに幸福なる人生がそこにあるか
なんといふよろこびが輝やいてゐることか
いちめんに枝をひろげた桜の花の下で
わかい娘たちは踊ををどる
娘たちの白くみがいた踊の手足
しなやかにおよげる衣装
ああ そこにもここにも どんなにうつくしい曲線がもつれあつてゐることか
花見のうたごゑは横笛のやうにのどかで
かぎりなき憂鬱のひびきをもつてきこえる。
いま私の心は涙をもてぬぐはれ
閉ぢこめたる窓のほとりに力なくすすりなく
ああこのひとつのまづしき心はなにものの生命《いのち》をもとめ
なにものの影をみつめて泣いてゐるのか
ただいちめんに酢えくされたる美しい世界のはてで
遠く花見の憂鬱なる横笛のひびきをきく。
2012年03月24日 20:35

【チャイルドハロルドの巡礼】第3編より、111-114連
バイロン作 Shallot B.訳
111
さて、思わしくない行く先のまま、ふたたび始めた(物語の)主題を
書き進めてきたけれど、ずいぶんと書いて来ちゃったな。
これまでの自分とは違うんだって感じること、
今の自分のあるべき姿じゃないって思うこと、
心を強く持つこと、
人間の思念の暴虐な心意気――つまり愛や憎しみ、あるいは何か、
情熱とか感情とか、決意、悲しみ、熱意なんかを、誇り高い警戒心で隠すこと。
それが魂の過酷な試練なんだ。
大丈夫、わかってるから。
112
ことばにしてみれば、こうして歌へと織り込まれてゆくのだから、
ことばなど人畜無害なたくらみだ、とも言えるかもしれない。
しばらく、僕の心や、他人のそれを紛らわせるために、
あっという間に過ぎ行(ゆ)く景色の彩を、
行(ゆ)き過ぎながら、僕はこの手に掴むんだ。
若いひとは名誉を強く望むけれど、
他人のしかめっ面やら微笑を
栄誉ある幸運の得失だなんて考えるほど、僕はもう若くない。――
他人(ひと)にどう思われようと、今も昔も、俺はひとりで立っている。
113
俺は<この世>が好きじゃなかった、そして奴もまた俺を好いてはいまい。
<この世>の臭い息にすりよったことはないし、
<この世>を信じて奴に忍従したりもしなかったし、
笑顔を造るために頬を歪ませたりしなかった。
熱狂の叫びに酔いしれて大声をあげることもなく、
人込みでは誰も俺を認めることはなかった。
俺は群衆の只中に立っていた、だが奴らと同類じゃなかった、
連中とは違う思念という死衣に包まれていたのだ。
こんなふうに克己して、俺の心が汚れていなかったなら、
今でもまだ人の群れの只中に、ひとり立っていられたのに。
114
俺は<この世>が好きじゃなかった、そして奴もまた俺を好いてはいまい。
だが対等な敵どもと別れさせてくれ。
まだ見かってはいないけれど、
欺かない希望とか、
慈愛に満ち、転落へと陥れる罠を仕掛けることのない<美徳>とか、
実を伴った言葉があるのかもしれないと、俺は強く信じている。
ひとりか、ふたり、見た目どおりで、
他人の悲しみに対して、心から嘆き悲しむ者もあるのだとも思いたい。
つまり、<女神>とは名前だけでなく、<幸福>が夢ではないと。
2012年03月20日 14:09



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