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yellow flowers

2005年05月28日 02:28

ぼたり ぼたり
薔薇のはなびら 落ちている
ぼたり ぼたり
大粒の雨が 砕けてる
ぼたり ぼたり
ラバーソールに 鉛を仕込む
ぼたり ぼたり
擦り切れたジーンズ 糸を引く

さらさら揺れる黄色い花の声は、この雨が止んでしまったなら、もうこのアスファルトには聞こえないよ。だって、ほら、もう彼女の声が、惨めにも大粒の雨に押し潰されて、あ、ほら、心無い人の靴の裏に踏み潰されて、排水溝に落ちることさえ許されないんだから。今はもう真暗な空には、いつもなら厚かましくも羽ばたいている蝙蝠たちさえ散り散りで、ただもう雨がばらばらと叩き落ちてくるばかりさ。夕闇なんて、ほんとうに一瞬のできごとなんだね、時はもはや永遠に失われてしまったよ。
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ゴッホ展(東京国立近代美術館)

2005年05月22日 20:57

mugimugi.jpg

 今日で東京国立近代美術館で行われていたゴッホ展が終了となるけれど、実は数日前に行ってきた。そのときも、名画の前にはたくさんの人がいた。
 ゴッホの絵画って、とってもpainfulだった…。生きていることに対して、とてつもない悲しみと、苦悩とを抱えながら、それでも描き続けた画家。ひたむきな筆の運び方と、不器用なほどのぎこちない色使い。アウトサイダーとしての生き様を見せ付けられた。
 個人的には、オーヴェール=シュル=オワーズで描かれた作品群に強く惹かれた。『糸杉と星の見える道』では、歪められた道の彼方で瞬いている星たち…。ゴッホの絵画が、他者の介入を一切寄せ付けることなく、ただそこに存在している。それを特に感じさせられたのは、『麦の穂波』だった…。一面麦の穂。そして、それらはただそこに在るものとして描かれている。
 風に揺られて、永遠の時の中に留められた麦の穂。一枚のタブローの中で刈られることもなく揺られている…ざわめきは夙に失われた。音もなく、誰もいない世界で、麦はひたすらに揺れ続ける…

リア王シリーズ③ ♪エドマンドの「俺は俺だぜ」♪

2005年05月22日 17:02

chibiedmund.jpg


↑ちびバージョンのエドマンドくん。

【あらすじ】グロスターの居城の部屋。グロスター伯爵の私生児エドマンドは超美形。異母兄弟で嫡子であるエドガーを追い落として父親からの相続権を獲得しようと陰謀をめぐらせる。偽の手紙で父のエドガーへの疑いを起こさせることに成功。父からエドガーの探りをいれるように頼まれる。エドガーへの疑念を抱いたグロスター伯は、悲痛をあらわにする。(『リア王』第一幕、第二場)

[グロスター伯]
最近の日食や月食はわれわれにとって不幸の前兆だ。人間の叡智がそれについてあーだこーだと議論したところで、自然はそれ自体が次々に起こる出来事で困惑させるのを思い知らせるだけだ。愛は冷め、友情は失墜し、兄弟は敵対する。街では暴動、田舎では不和。宮殿では陰謀。そして絆は息子と父親の間で引き裂かれてしまう。親不孝息子もこの予言の下に現れた。父親に背く息子あり、王は自然の情に手向かう。子供を虐げる父親がある。幸せな時間は過ぎ去ってしまった。陰謀、不誠実、裏切り、そしてこの世の終焉、これらが我々を不安に陥れ、我らの墓まで追ってくる。この非道人エドガーを見つけ出すんだ、エドマンド。お前の悪いようにはしない。気をつけろ。高貴で実直なケント伯が追放されたんだ。彼の罪名、「誠実」よ! 奇妙なものだ。 [退場]

[エドマンド]
こいつはスッバラシイこの世のド阿呆だね。運命に気分が悪くなってくると、――だいたい自分の食い過ぎが原因だが、自分の身の破滅の責任を太陽や月や星になすりつける、まるで自分が必然的に悪だったみたいに。天体の感応力によるド阿呆か。ヤクザ、泥棒、裏切り者、みんな生まれた時にどの星が支配していたかで決まるのか。惑星の感応力って抗いがたい支配者によって、アル中、詐欺師、間男に決まるのかよ。超自然的な力による強制で悪の道に染まるのか。星の責任だっていって、エロジジイでいるための、遊び人の立派な口実だな! 俺の親父と母さんは、竜座の尻尾の下で契ったのさ。そんで俺は大熊座の下に生まれた。こいつによれば、俺はガサツで女好きだってことになる。クソッ、俺が胎動を打ち始めたときに、空には貞淑な星が瞬いていたとしても、俺は今の俺だったはずだぜ。 
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裸足で歩いて行こう

2005年05月21日 23:55

薔薇の敷き詰められた道を
裸足で歩いて行こう
美しい紅の花びらを
感じながら どこまでも

薔薇の咲き誇る道を
裸足で歩いて行こう
鋭い棘が絡みつき
血まみれの足で どこまでも

 耐えられるよ 薔薇の香りが素晴らしいから
 涙が頬を流れ続けても どんなに棘が鋭くても
 棘がなかったら 薔薇じゃないから

薔薇の咲く小道を
生きている茨の小道を
裸足で歩いて行こう
深紅の足で 花の香りを感じて どこまでも

コロセウムに寄せる瞑想⑧ (stzs.143-145)

2005年05月21日 00:29

廃墟――だけどなんて廃墟だ! その塊で防壁や屋敷、
市街の半分ほどにもなる大通りは出来ていた。
そして時折、巨大な残骸を通り過ぎて、
あなたは略奪された品があったはずの場所に驚くだろう。
なるほど、略奪されたのか、それとも取り除かれただけなのか?
あぁ! 巨大な建造物の構造に近づくと、
時が経つにつれて、崩れ落ちているのがわかる。
それは陽の光には耐えられないだろう、
というのも、陽の光の流れはあまりにも
歳月や人を奪い去ってしまうから。

這い出づる月が、最も高い門の上へと立ち昇り、
穏やかにとどまっているとき、
星が時の裂け目の向こう側に瞬いているとき、
そして柔らな夜風が、気流に沿って、
ハゲた皇帝シーザーの頭に載った月桂冠みたいに
灰色の壁を着飾らせている花の森を揺らめかせるとき。
光が眩しすぎず、麗らかに輝いているとき、
そのとき、この魔法のドームに死者たちを呼び醒ますのさ。
英雄たちはこの場所を踏みしめてきた――
あなたの踏みつけてるのが、彼らの塵だということさ。

「コロセウムの立つ間、ローマは立っているだろう。
コロセウムの崩れ落ちるとき、ローマも崩壊するだろう。
そしてローマが崩壊するとき、――世界が。」
我々の故郷からこうして巡礼者たちは、この巨大な壁を越えて、
われらが「古代」と呼んできたサクソン時代に物語る。
そして三つの滅びるはずのものは、まだ、
しっかりと礎の上に在って、ちっとも変わってなんかない。
ローマとその廃墟が、修復の技術を経て、
世界は拡がり続けて、盗賊の一つの広大な巣穴か、
あなたの望むものか、そんなものになっていくのだろうね。

Informacion Celeste ―美容室の午後―

2005年05月15日 18:52

fabiana.jpg

 その美容室へ行くのは、実に9年ぶりのことだ。9年前――あの頃の私が今の自分を想像できただろうか。どことなく郷愁的な心持ちに浸りながら、扉を押した。
 この町の駅前には、町の規模と一致しないほどの美容室がある。隣の駅前と合わせると、もう本当に激戦区と言っても過言ではない。近年の美容室の増加に伴い、チェーンなどでは価格競争も激しく、その美容室はチェーンでもないから、状況的にはキビシイはずだ。その美容室の美容師さんは、技術的には、かなり素晴らしいと知っていた。ただ、私がこの町に住むようになってから思春期の頃、よく通っていたけれど、料金的には決して安くはなかった。だから、最近はどうしても安いほうへと足が向いてしまって、すっかり御無沙汰してしまったというわけだ。美容室自体、半年に一度、もうどうしようもなくなるまで髪を延び放題にしてしまう性分なので、あまり行かないほうだろう。
 さて、雨が降りそうだったが、午後の早い時間に、私はどうしても机に向かう気になれず、美容室を口実に、傘も持たずに出かけたのだった。
 星の数ほどある美容室の中で、雨の日曜日、私はこの美容室にいる。――そして、9年ぶりに同じ椅子に腰掛けてその美容師さんに髪を切ってもらっている。たくさんの美容師さんがいて、たくさんの客がいる中で、日曜の午後、私はその美容師さんの客で、延び放題の髪を整えてもらっている。よく、お客に話し掛ける美容師さんがあるけれど、私はあれこれ尋ねられるのが好きではない。自分のことを語るのを好まないからだろうか。美容室では、美容師さんの手の動きを見ているだけで楽しい。自分の髪が変化していく様は、解放感を帯びているようで面白い。
 やがて、優しくブロウしてもらっている間に、(今日はこれを目当てに訪れたようにも思うが)コーヒーサービスがあって、ほっとするような穏やかな気持ちで雨の音を微かに聞いた。
 激戦の影響か、お代がだいぶ安くなっていた。この技術でこの値段は勿体無いだろう。だが、やむをえないのだろう…。驚いて、そしてこの値段なら、次からここにこようと思ってしまう。
 外へ出ると、雨は上がっていた。激しく降っただろうが、すっかり爽やかな風に、雲の切れ間から青空が笑いかけていた。菖蒲が宝石で鮮やかに着飾って、青空に微笑んでいた。
 思わず口ずさむ。Fabiana Cantiloの『Solo me tengo a mi』。アルバム『Informacion Celeste』の中の一曲。三年前、アルゼンチンに凝ったときに、覚えた曲。彼女のハスキーな歌声が、大草原の青空を呼び覚ます。乾いたブエノスアイレスの街を思い浮かべる。マテ茶とドルチェデレーチェの匂いが立ち込める街角。
 美容師さんに軽くしてもらったのは、どうやら髪の毛だけじゃなかったらしい。雨上がりの丘の上で、こころはすっかりブエノスアイレスまで飛んでいってしまった。

クールベ美術館展 ―ケルビノ・パタの絵画―

2005年05月15日 17:54

pata.jpg

 「あんたはわざわざ三鷹まで出向いて、しかもクールベ美術館展に行って、どうしてケルビノ・パタに感銘して帰ってくるんだぃ!?」と言われてしまいそう。でも、実際パタさんの作品が素敵だったのだから、どう言われても仕方ない。
 クールベさんの作品は、確かに美しかったのだけれども、あんまり惹かれなかった…。強いて言えば、曇り空の海岸を描いていた作品はどことなく寂しげで、浜辺の嵐の前触れを感じられた。
 パタさんの絵画の質感と、深い色合いが印象的だった。『森の中の渓流』という作品では、渓流の影になっているために描かれた「黒」が微妙な色彩変化を表現していたし、それ以外の作品でも細い筆で描いたような微細な手の跡が魅力的だった。
 光のちらちらする向こう側には、こころの休まるような、そんな世界が広がっているに違いない…

コロセウムに寄せる瞑想⑦ (stzs.140-142)

2005年05月15日 00:28

僕の前には剣闘士が横たわっているのがわかる。
彼は手を支えにして倒れかかっている――その人間らしい表情は
死を受け入れている、だから苦痛をこらえて
やがて彼のうな垂れた頭が少しずつ沈んでゆく――
脇腹を潜り抜けて、最後の雫が深紅の傷口から
ゆっくりと零れ落ちながら、一つ一つ、
まるで降り始めた夕立のように、脈打ちながら落ちている。
そしてやがて彼の周りを闘技場がぐるぐる廻る――
彼は逝ってしまう、勝ってしまった残忍を讃える獣じみた歓声が
鳴り止んでしまうその前に。

彼はそれを聞いた、でも気にとめなかった――
彼の瞳はこころと共に、遠いところへ飛んでいた。
失われた人生も相手の命も全く顧みなかった。
遠いところはドナウの岸辺、粗末な家のあるところ、
彼の幼い子供たちが皆で遊んでいたところ。
ダキア人の妻のいたところ――彼、子供らの父親は
ローマの休みの娯楽のために惨に殺されたのだった――
彼の血は迸った――彼を死なせてしまうのか、
復讐もなく?――立ち上がれ、ゴートの人々よ、
おまえたちの怒りを満たしてやるがいい!

そしてここ、<謀殺>が血塗れの精気を吸い込んだところ、
そしてここ、ざわめく群衆が道を塞ぎ、
急流が曲がり彷徨うように、飛び跳ねる山の本流のように、
猛り狂い、不平をこぼしていたところ。
ここ、幾百万のローマ人の非難や賛美が、
群衆に嘲弄された人間の生死であったところ、
僕の声はいっぱいに響き渡る――そして星の仄かな光は
誰もいない闘技場へと降り注ぐ――押し潰された椅子――崩れた壁――
そして回廊、そこに僕の足音が不思議と大きく響くよう。

ベルギー象徴派展

2005年05月08日 22:43

trinite.jpg

 渋谷東急本店横、Bunkamuraザ・ミュージアムで、6月12日まで開催されている『ベルギー象徴派展』に行ってきました。タイトルからしてShallotを大いに惹きつける展覧会。チョットうきうきでした!
 まず。岩波文庫から出ているサド侯爵の『恋の罪』がさりげなくお気に入りで、現在筑摩文庫の『ロートレアモン全集』を拝読中(もちろんかなり夢中。)で、言うまでも無くバイロン大好きっ子で、…そんなShallotですから、今回の展覧会に出品されていた多くの「悪魔的絵画」は、決して嫌いなはずがないのです。ただ、今回はそれはちょっと横に置いておいて、稚拙ながら、私が新たに発見した素敵なことを書こうかと思います。
      *      *      *
 最初に、グザヴィエ・メルリさんの作品の中から、『わが家の玄関』。漆黒の闇がそこまで迫っていて、バルビュスの『地獄』の中に出てきそうな雰囲気が、とても好きな感じでした。また、『扉』は、デジャヴュのような錯覚をおこさせてくれました…。子供の頃、どこかでこんな光景を見たような気がするんだけどな…。光の具合のせいでしょうか?
 オルフェウス伝説にまつわる作品は二つありましたが、私はポール・デュボワさんの『最後のくちづけ』(彫刻)の美しさにすっかり魅せられてしまいました。大理石の彫像がこんなにも美しいと思えたのは、多分初めてですね…。彫像ってあんまりよく鑑賞できなかったんですが、こればっかりは本当に、素晴らしいと思います。
 レオン・フレデリックさんの『聖三位一体』は、大きい画面に、神様と天使がいっぱい描かれていて、特に足元の蛇やキリストの首には息を呑まざるを得ない。それでも、最も切なかったのが、三番目の女の子の絵でした。涙をいっぱいに頬に落としながら、緋色のリボンを頭に巻きつけて、真っ白な(純潔の象徴?)服を身に纏って、蛇を踏みつけて花園を追われている…?大きくなったら堕天使にもなりそうな雰囲気さえ感じました。(Shallotってばテキトー解釈…/汗)
 この展覧会でもっとも眼を瞠ったのは、パステル画の数々でした…。フェルナン・クノップフさんの『フランドルの思い出―運河』『ブリュージュの思い出―ベギン会修道院の入り口』『ブリュージュ―教会またはブリュージュ聖母教会の内部』『フォッセの橋』など、パステルという画材がこんなにも美しい絵画を描出できるんだ!と驚きました。でも、最も素晴らしかったのは、『ブリュージュにて―ブリュージュのたたずまい、愛の湖』。言葉が見当りません…。ヨーロッパのどことなく暖かく、どことなく冷たい夕闇の景色。紙とパステルの質感が素晴らしいです…。こんな素晴らしいパステル画材を、私は今までに見たことがなかったのです。でも、感動はこれで終わりではなかった。この作品と同じぐらい感銘を受けたのが、ウィリアム・ドグーヴ・ド・ヌンクさんの『夜の効果』!薄明かりの中に見えているのは月、そして木の影を強調するように対照的な光を放つ家々の窓。人影はないけれど、確かに人は存在している。暖かな光の中に…。
 ヌンクさんの作品ではもう一つ、『爛れた森』という(Shallotがいかにも好きそうなタイトル!)ものがありました…雪解けの水が森の樹々の根元に溢れ出している光景は、ヨーロッパの絵本にはよく見られますが、この陰湿で哀れな森は、春を謳歌することもなく、腐り果ててゆくのでしょうか…?
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言葉の錬金術

2005年05月08日 01:03

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 ランボーの『Une Saison en Enfer』から、言葉の錬金術の訳をし直している。(Shallotのランボオ訳詩(ランボオ専用ブログ)参照。右下にリンクがあります。)
 二年前の春に、一ヶ月以上の休みがあった最後の月に、必死に訳していた。――現実逃避で。でも、今読み返すと、ヤハリ全然日本語になってない。まいったなぁ…、当時は自信満々で日本語にしたつもりだったんだけどなぁ…。この二年間で、某通信講座で翻訳講座を受講したり、ごちゃごちゃになってた英文法をきっちり整理したり(これは一重にK先生のおかげ)、中也にはまって日本語を見直したりしたから、当時の訳は全然ショボイってことだな。。。
 やれやれ。詩の路は長くて険しいぞっ☆*^-^*

コロセウムに寄せる瞑想⑥ (stz.139)

2005年05月08日 00:27

(『チャイルドハロルドの巡礼』第四巻から)

ここに熱気沸き返るあらゆる人種のざわめきが聞こえる。
ある男が仲間に惨殺された瞬間さ。
囁かれた同情と沸き立っている拍手喝采。
どうして殺されたの? 理由なんて、
血まみれの円形広場だよ、都合のいい法律なんて
皇帝の御意志なんて、そんなもんさ。――いいんじゃない?
僕たちがどこで倒れたとしても、蛆虫の胃袋を満たすためさ、
何がちがうんだぃ?――戦場だろうが、闘技場だろうが、同じこと。
どっちも舞台の役者が腐蝕してゆく劇場にすぎないぜ。

魅惑の(?)17-19世紀フランス絵画展

2005年05月05日 20:57

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 損保ジャパン東郷青児美術館(新宿)で7月15日まで開催されている『魅惑の17-19世紀フランス絵画展』に行ってきました。ドラクロワさんが好きなShallotとしては、是非ともドラクロワさんの『室内のアルジェの女性たち』をみなくっちゃ!ということだったのです。以前どこかで見たバイロンをモチーフにしたドラクロワさんの絵画に感化された覚えがあるので、その感動をもう一度!という気持ちだったんですが、今回のドラクロワさんは、普通に「サスガ!」という感じでした。
 それよりも、いくつか驚いた作品がありました。
 まず、フランソワ=グザヴィエ・ファーブルの『アベルの死』。アベルの肌の美しさと、画面全体のデカさに驚きました。――アベルって、これ死体なんだよね??死体なのに肌がめっちゃキレイで、思わず触りたくなってしまうような質感でした☆(/オイ)髪の毛もくるくる指で巻いちゃいたい。(爆)
 次に、アレクサンドル・ルイ・マリー・テオドール・リシャールの『ポーの町と城の眺め』。二次的な感動ですが、当時このほとりにバイロンが立って詩を詠んでいたのだなぁと思うと、どことなく感動的でした。
 フレデリック・アンセルム・ロッタンの『かすかな記憶』――この展覧会の中で、最も美しく、その幽玄さが素晴らしかったです。今にも亡びてしまいそうな女性の面差し、画面全体の真っ白な色彩、象徴的な白薔薇…。記憶の中にしか存在していない幻の光景。目に見えるものが生きているものなら、目に見えない実体の無いものは死者――ゆえにこの薔薇も、女性も、もはや死んでしまっている。この女性との遭遇はもはや記憶の中でしかありえないのか――悲しみさえも湧いてこない、幻夢ではないでしょうか?

リア王シリーズ② ☆素敵ingフランス王☆

2005年05月05日 20:13

20050505200549.jpg

<リア王から、第一幕第一場 バーガンディにフラれたコーディリアを愛してしまった素敵なフランス王!>

【これまでのあらすじ】父に癇癪をおこさせた結果、持参金を貰えなくなった上に、父王の不孝をかってしまったコーディリア。勘当され、無一文になった彼女に、それまで持参金目当てで求婚してきたバーガンディ公は、あっさり彼女への求婚をとりやめる。バーガンディ公と同時に求婚を申し出ていたフランス王だが、そこまでの経緯は(文脈から)不利だった。しかしここへきて、フランス王の優しさが光る!
   *         *        *
☆バーガンディ: 申し訳ありませんが、それではあなたは御父上を失ったのと同様に、夫も失わねばならない。
☆コーディリア: バーガンディさんに幸いあれ、ですわね!財産勘定が彼の愛ですから、私は彼の妻にはならないわ。
☆フランス王: 美しいコーディリア姫、あなたはとても惨めであるがゆえに華やかに、棄てられて一層素晴らしく、蔑まれたがゆえに最愛の人となるのです!僕はあなたとその美徳をここで奪わせていただきますよ。棄てられたものを拾い上げることは理に適っていると言ってください。あぁ、神よ! 彼らの酷い無視から、敬愛のために僕の愛が燃え上がってしまうなんてオドロキだよ!あなたの持参金なしのお嬢さんは、リアさん、投げ出されて僕のものとなり、我が臣下たちの、我が麗しフランスの王妃です。水っぽいバーガンディ公爵が何人合わさったって、僕の値もつけられないくらい貴重な乙女を買えやしないぜ。さ、姫、冷たい連中に別れを告げて下さい。あなたはより良いところを見つけるために、この地を去るのです。
☆リア: どうぞ彼女をお連れ下さい、フランス王。彼女はあなたのものですよ。というのも私にはそんな娘はいませんし、二度と彼女の顔をみたくもありません。祈りも愛情も祝福ももたらしたくはありませんよ。行きましょう、バーガンディさん。
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リア王シリーズ① リアの癇癪

2005年05月04日 01:17

Cordelia.jpg


<リア王から、第一幕第一場、孝行試験のワンシーンより>

リア: あなたとあなたの子孫たちに、私の美しい王国の豊かな三分の一を与えましょう。(この土地は)ゴネリルに与えられた土地に、広さも価値も喜びも、劣っているところは何もありません。それではいちばん年若い末の娘ではあるけれども、私の喜びよ、その若い愛に興味を掻き立てられたがゆえに、フランスのワインとバーガンディのミルクが競い合っていますね。さて、あなたの姉さんたちよりも豊かな三分の一を引き出すために、あなたは何を言うことができますか? お話なさい。
コーディリア:何も。
リア: 何も!
コーディリア: 何も。
リア: 無からは何も生じない。もう一度言いなさい。
コーディリア: 残念ながら、私は真情を口に上らせることができません。私は自分の義務によって父上の御威光をお慕いするので御座います。それ以上でもそれ以下でもなく。
リア: おぃ、おぃ、コーディリア! 言葉を慎みなさい、あなたの財産を損なうといけませんよ。
コーディリア: 父上、父上は私を生んで育て、愛してくれました。私はそれがあるべき通りに、これらの義務の恩返しを致します。父上に従い、父上を愛し、最大限に尊敬いたします。もし姉上たちがまったく父上だけを愛していると仰るのなら、どうしてお婿殿をお持ちになったのかしら? 多分、私が結婚したら、その手が私の婚約をお取りにならなければならない殿方は、私の愛の半分を、私の気苦労や義務の半分を、お奪いになってしまわれるでしょう。本当に、私は姉上たちのように結婚など決して致しません。父上だけを愛するために。
リア: あなたの真情はこんなふうにふるまわれるのですか?
コーディリア: はい、父上。
リア: そんなに若くて、それでそんなに思い遣りもないと?
コーディリア: 若さゆえに、父上、忠実なのです。
リア: 勝手にしなさい。あなたの忠実さを、それなら、自分の持参金にしなさい。それというのも、太陽の聖なる輝きにかけて、ヘケートの秘密の儀式と夜にかけて、私たちの誕生と終焉を決める軌道の運行のすべてにかけて、ここに私は父としての心配事、血のつながりと絆を全て放棄し、私の心と私にとっては他人であるものとして、あなたを見詰めます。これから先、永遠に。残忍なスキタイ人、すなわち自分の食欲を満たすために自分の親を食事料理にするような輩が、私の胸にとっては隣人となり、気の毒に思い、慰めとなってくれるでしょう。あなたと同じようにね、かつては私の娘だった人よ。
ケント: 陛下、――
リア: 御黙りなさい、ケント。竜の逆鱗に触れてはいけない。私はこの子を最も愛していました。だから私の余生はこの子の優しい世話を頼みにしようと思ったのです。行きなさい、私の視界に入るな! ここで私は彼女から父への真心を手放してしまったのだから、私の平穏は己の墓に在り! フランス王を呼びなさい。誰が行ってくれますか。バーガンディ公を呼びなさい。コーンウオル公、オルバニイ公、私の二人の娘の持参金に、この三分の一も併せてください。彼女が正直と呼んでいる思い上がりに、彼女を娶らせればよいのです。私はあなたがたに私の権力と最高位、そして王者の風格に伴う絶大な影響力の何もかもを授けます。私自身のことはといえば、一月ごとにあなたがたに養って頂いて、100名ばかりの騎士たちをとどめ置いて、かわるがわる、あなたがたと同居しようとおもいます。今しばらく私が堅持するのは、名前と、王としての称号だけです。実際の支配権、収入、残る王権の行使などは、愛しい息子たちよ、あなたがたのものとしなさい。それをはっきりさせるものとして、この宝冠を二人で分けなさい。
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Antoni Tapiesの作品たち

2005年05月02日 00:23

tapies2.gif

 品川は原美術館で5月29日までやっている、『タピエス―スペインの巨人 熱き絵画の挑戦 展』に行ってきました。
 なんか久しぶりに、涙出るかと思いました…。(年末年始のZao Wookie展以来だなぁ~。)なんかもう、言葉にならないくらい、凄かった。しばらく言葉が無かったです…。廊下に飾ってあった小さめの作品群から、何故か私はイジドール・デュカスの『マルドロールの歌』を思い出しました…。「何故だろう?」――多分、どことなく「悪魔的」な側面があったからではなかったかしら。殆どの作品に十字が描かれていましたが、どれも十字が破綻しているように思えたからです。
 私が最も気に入ったのは、『白のレリーフ』という作品でした。――波。静寂の海と樹木。理想郷の夜。しかし、それは既に罅割れているのです。もはや現実には存在を否定されています。波の音も、穏やかな鈴虫の声も、何もかもが虚構。白さのむこうがわには、素晴らしい夜の波と満天の星空があるのに、手が届かない。
 『二つの溝のある黒』。カンヴァスの上に、二つの痕跡。しかし、それはもう闇に飲まれてしまっている…。
 『闇の上の二つの白』では、白い存在は、線の向こう側へは飛び込めないでいる。画面の下のほうには、穏やかな存在があるのに…。
 『折り曲げた板とコップ』のコップはもはやコップではなく、ただの硝子の物体に過ぎない。亡骸。けれど確かに存在している…。
 『三本の指』の影は、なにか考えを持っているが、抽象的であり、実体が掴めずに、それでも何かを思っている(言っている)のだと思う…。けれど、聞こえない。伝わらない。こちらが理解できるのは、その影の存在だけ…。
 どうしてでしょう? 十字は既に否定されているのです。二つの結び目では、十字は十字ではない。『マルドロールの歌』のように残酷で、それでいて美しい幻。私はこれらの作品に、そんなものを見出していたようです…。是非またどこかで展覧会をやってほしいなぁ…。(大金持ちだったらコレクションしたいくらい! 個人的にはイチバン好きな画家のカジンスキーと同じくらい好きになってしまった作風でした。)
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コロセウムに寄せる瞑想⑤ (stz.138)

2005年05月01日 00:26

僕のことはもういい。――さぁ、来るんだ、
言葉にならない恐ろしい力よ、絶大な力を持つものよ、ここ、
夜も夜更けの丑三つ時に、恐怖とは全く違うけど、深い畏怖を伴って、
影の中を歩いたものよ。おまえは現れる、
死んだような壁が蔦の覆いを這わせているところへ。
荘厳な風景があまりにも深く清らな感覚をおまえから引き出しているので、
僕らが昔日のものの一部となるところへ。
そして何もかもが瞳に映るけれど、僕らが過去からは見えないような、
僕らがその場と一体化してしまうところへ。


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