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2006年05月31日 13:08

la miroir de Pompei

わたしはあなたの泣くのを見ました
それは酷く煌いて
光の茨のようでした

夏のゆうぐれ 緑門が
固く固く閉ざされて
小さな籠のようでした

それはもう夙に 過ぎてしまったあの日の記憶
あれからわたしは土の深くに

わたしの上には毒気を帯びた
野苺のような風がざわめき

雪のかけらのようでした
あれは雪ではありません
地の奥深くより 空へと湧いた 重たい憧憬

今はもうわたしはあなたを映さない
わたしの眼はすでに曇り
あなたの涙は焦げついて
今はもう 失われたあなたの土塊を
思い出すのも ままならぬのです
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とまと とまと

2006年05月24日 00:38

とまとまとまとまと
とまとまとまとまと
とまとまとまとまと

とまとまと
今宵の晩餐
とまとまと
雨の音を聞きながら
とまとまと
赤い 冷たい
とまとまと
お皿の上の
とまとまと
ヨハネくんも
とまとまと
キリストさまと
とまとまと
ユダさんと
とまとまと
食べたのかしら
とまとまと

とまとまとまとまと
とまとまとまとまと
とまとまとまとまと

光の洪水

2006年05月20日 00:47

てらてら輝くアスファルト
いつもより何故か嬉しそう

空は熱風巻き上げて
柔らな若葉をへし折って

澱んだ雲へ 月は失われ
重たい水がばらばら落ちて

ばらばら落ちて ばらばらばらばら
赤い花の 美も落ちて

ばらばら落ちて へし折られ
てらてら輝くアスファルト

頬を赤らめ 輝くのは
なぜ?

ロマン派の神様たち

2006年05月14日 21:15

万緑の夢

ロマン派の時代には、科学が発達して、宗教観や自然観も随分変わったらしい。今までは、聖書の神様が上のほうにいて、人は死んだら魂になって、上のほう(=天国)へ行くんだって信じられてた。でも、科学が発達して、どうやら上のほうに神様はいないってことになった。天体の運動は無意識的なもので、神様が動かしてるんじゃないとか、天体は神様の特別な素材で出来ているってことだったのが、どうやら地上とおんなじ構成物質だってことがわかってきた。自然も、二つに分けられていた、天国のすぐ下に在るはずの桃源郷的自然、つまりエデンの園と、自然的自然、つまり人間を脅かす自然であり、地上であったものに分かれていたんだけど、この2つの境界線もだいぶ曖昧になった。だって、上にいるはずの神様だけじゃなく、どうやら古代的な万物に宿っている精霊みたいな存在が、地上にはうようよしてて、それが神様かもしれないって話になった。んで、地下には勿論地獄とか冥府とかいわれる世界があって、そこには異教の神様たちが――つまり、聖書の神様によって追放された神様たち――がいるはずだった。前に書いたように、人間が死んだら、天国に行くんじゃなくなってきたってことは、肉体と万物に宿っているはずの精霊たちと似た存在の魂は、地下に降りていくことになったらしい。
バイロンには、河をモチーフにした作品がいくつかあるのだけど、河を遡るときの描写って、途中はなんだかエデンの園って言うか、桃源郷みたいにキラキラステキな自然の描写がいっぱいある。例えば、『チャイルドハロルドの巡礼』3巻のライン河。でも、逆に地下へ降りていく、つまり死んで冥府へと下っていく河や、主人公を異教の神様たちのところへもっていくものもある。例えば、『マンフレッド』の2幕。死んだ恋人のアスタルテに会いたくて、異教の神様たちのところへ行くんだよね~。
ロマン派の時代の価値観というか、神様の考え方にピッタリ合ってたんだね。やっぱりまさに時代の人だったってことか? ちなみに、お友達のシェリーくんは、自然の中にいっぱいいる精霊たちを認めて、自ら無神論を唱えたみたいだけど…。
神様。地下世界、冥府、地獄。死の世界、死の都市。

どーなんでしょー?

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今宵月は茗荷を食ひ過ぎてゐる

2006年05月10日 00:46

白紫の花花

【月】 中原中也 作 (『在りし日の歌』より)
今宵月は茗荷を食ひ過ぎてゐる
済製場の屋根にブラ下つた琵琶は鳴るとしも想へぬ
石炭の匂ひがしたつて怖けるには及ばぬ
灌木がその個性を砥いでゐる
姉妹は眠つた、母親は紅殻色の格子を締めた!
 
さてベランダの上にだが
見れば銅貨が落ちてゐる、いやメダルなのかア
これは今日昼落とした文子さんのだ
明日はこれを届けてやらう
ポケットに入れたが気にかゝる、月は茗荷を食ひ過ぎてゐる
灌木がその個性を砥いでゐる
姉妹は眠つた、母親は紅殻色の格子を締めた!
[ 続きを読む ]

「目に見えないもの」との邂逅

2006年05月09日 23:55

 バイロンの「目に見えない存在」に対する言及は、若い頃の作品から、中期の作品に掛けて、多くみられるんですが、実際それに語り手あるいは登場人物自らが邂逅するっていうのは、『マンフレッド』だけな気がするんですよね。『Hebrew Melodies』にも、けっこう出てくる。でも、その前の初期の作品にも見られるひとつの特徴みたいなんです。それが、はっきりした形で邂逅したり、語り手に影響を及ぼしたりするのって、1816年の夏に書かれた作品に出てくるみたい。でも、これってかなり立証するのが大変かも…。
 われながら、根拠が明確でないのよね。だいたい、「目に見えない存在」って言ったって、当時のネオプラトニズムの考えからすれば、肉体と精神の乖離なんてあったりまえだし。バイロンはその中でも、肉体の『土塊意識』ってのがより強烈みたいだよ、ってことは誰かが言及してたことだし。精神的なもの、soul、spirit、ghost、devil。これをぜ~んぶひっくるめちゃったら、全然意味の違うことになっちゃうし。

 参ったなァ…。

バイロンの位置づけ

2006年05月07日 23:12

des azaleas rouges


 新たにカテゴリーを作って、ここを更新するという口実のもと、少しずつ自分の勉強を進めようと考え…怠け者の私でも、これなら少し勉強する気になるんじゃないかと。
 と言うわけで、第一弾は、バイロンのロマン派という中での位置づけについて。

バイロンという人は、最近私が考えるに、どうも歴史の渦の中で歪められたイメージを作られてしまったみたいなんです。「色男」「情熱の人」「英雄気取り」「ダンディ」…。太宰に至っては、「バイロン卿に化けそびれた泥狐」という文句を、小説の中で語り手に言わせてしまっている。きっとそういうイメージなんでしょうね。
 難しくは、「バイロンはイギリスロマン派の詩人の中では、少し特異な存在ですね」などと言われるし、一方「バイロンっていうのは、ロマン派の典型的な詩人ですね」と言われる。何だコレ、まったく反対のことを言われてるんじゃん。まったく、「ハァないわ~」。

 「大体ロマン派って、何なのですか?」 イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、欧州の19世紀に花開いた文芸潮流。「でも、それぞれの国に於けるロマン派の時代って、少しずつずれてやしませんか? バイロンはイギリスロマン派の詩人だって言うけれども、ワーグナーはドイツロマン派を代表する音楽家なんですよね? ユゴーやボードレールだってフランスを代表するロマン派の文豪・詩人じゃないですか。その差80年くらいありますよ。」

 私、最近思うのです。ロマン派って、19世紀全体を覆っていた文芸の大きな流れなんじゃないかって。細かくは写実主義とか象徴派とか自然主義とか、いろいろに分けられるのだろうけれど、根本的には自我の発露の時代だったのかな、って。バイロンも、シャトーブリヤンも、ランボーも、ワイルドも、ワーグナーも、ショパンも、みんな「自分の意識ありき」のような気がする。
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記憶

2006年05月03日 22:13

新緑の幻想

  【記憶】
          バイロン作

おしまいだ!――夢に見たのさ、
未来がもはや望みで輝くことはないと、
  俺の幸せな日々など殆ど無いと。――
不運の冷たい突風に凍え、
人生の夜明けはかき曇る。
  愛よ、望みよ、喜びよ、みんなサヨナラ!
  記憶さえもまとめてサヨナラできたらなぁ!
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春宵感懐

2006年05月01日 00:51

a purple flower

【春宵感懐】 中原中也 作
雨が、あがつて、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
 なまあつたかい、風が吹く。

なんだか、深い、溜息が、
 なんだかはるかな、幻想が、
湧くけど、それは、掴めない。
 誰にも、それは、語れない。

誰にも、それは、語れない
 ことだけれども、それこそが、
いのちだらうぢやないですか、
 けれども、それは、示かせない……

かくて、人間、ひとりびとり、
 こころで感じて、顔見合せれば
につこり笑ふといふほどの
 ことして、一生、過ぎるんですねぇ

雨が、あがつて、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
 なまあつたかい、風が吹く。


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