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君死にたまふことなかれ

2006年08月22日 23:58

諸橋池空

【君死にたまふことなかれ】by 与謝野晶子
(旅順の攻囲軍にある弟宗七を歎きて)

ああおとうとよ 君を泣く
君死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたもうことなかれ
旅順の城はほろぶとも
ほろびずとても 何事ぞ
君は知らじな あきびとの
家のおきてに無かりけり

君死にたもうことなかれ
すめらみことは 戦いに
おおみずからは出でまさね
かたみに人の血を流し
獣の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
大みこころの深ければ
もとよりいかで思されん

ああおとうとよ 戦いに
君死にたもうことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまえる母ぎみは
なげきの中に いたましく
わが子を召され 家を守り
安しと聞ける大御代も
母のしら髪はまさりぬる

暖簾のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を
君わするるや 思えるや
十月も添わでわかれたる
少女ごころを思いみよ
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき
君死にたもうことなかれ
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夢 (第1連)

2006年08月20日 03:27

諸橋小川


私たちの人生は二重です。 眠りにはそれ自体の世界が、つまり
死や実在と呼び違えられたものの間に引かれた
境界線があるのです。眠りにはそれ自体の世界が、つまり
荒涼とした現実の広大な領域があるのです、
そして夢の展開の中、夢には吐息や涙や懊悩、
それから歓喜の感触があるのです。
夢は私たちの覚醒している想念に、心の重荷を残していきます、
夢は私たちの覚醒してはいるものの、
箍の外れた想念から、心の重荷を取り払います。
夢は私たちの存在を引き裂いてさえしまいます。夢は
私たちの死期までに、私たちの一部となって、
永遠の先触れのように見えるのです。
夢は過去の亡霊のように過ぎ行きます、――夢は
未来を占う巫女のように話します。夢には力が、――
喜びと苦しみという暴虐があるのです。
夢は私たちを過去の私たちとは違ったものに――
夢の望むものにするのです、
そして夢は過ぎ去りし光景で私たちを揺さぶるのです、
消え去りし幻影の恐怖で。――夢は本当に幻影なのかしら?
過去はすべて幻影ではないの? 夢とは何なのでしょうか?
心の創造物かしら? ――心は真実を作ります、
以前よりもはっきりした存在で、
その運星世界を満たします、そしてすべての肉体よりも
永く生き延びられる姿形に命を吹き込むのです。
私は偶然眠りのうちに夢見た光景を思い出しましょう、
――というのも、眠り自体に想念が、
まどろんでいる想念が、歳月を捕らえることができ、
そしてひとときのうちに永い人生を凍結させてしまうから。
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what she has been

2006年08月19日 02:25

蓮華沼

彼女には子どもがあった
子どもらは幼かった
子どもらは彼女を酷く傷めつけた

彼女は熱に侵された
彼女は冷静さを失った
熱 帯びた 彼女の体は
汗にまみれて 彼女の皮膚は
皸になって 罅割れた

彼女は酷く 取り乱していた

彼女の体は際限を知らず
酷く 酷く 熱を持った
彼女の瞳は赤く潤み
涙が止め処なく とめどなく流れ続けていた
子どもらは 罅割れた皮膚に針を刺して
彼女の体の深き淵から
黒い 黒い 燃える血液を絞り取った
彼女の脳髄は冷気を失い
彼女はやがて 未来を失くした

これは
宇宙の片隅で起こった
本当に小さな出来事の年代記

彼女は子どもらを自ら滅ぼし
彼女自身も息絶えた

諸橋近代美術館の記憶

2006年08月17日 01:13

諸橋近代全景

先日ダリの展覧会の感想を書きましたが、今日はその時撮った写真が出来上がったので、絵日記風にまとめてみようかと。

諸橋右池


諸橋玄関

美術館のエントランスです♪

諸橋池空

諸橋小川

庭の淵にある小川はさらさらと流れているのでありました…

諸橋映池

なんだかディズニーシーみたいです…

諸橋臨池山


諸橋赤車山

カワイイ赤い車はアクセント♪

『謎の豪族 蘇我氏』

2006年08月16日 00:01

謎の豪族 蘇我氏 謎の豪族 蘇我氏
水谷 千秋 (2006/03)
文藝春秋
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 少し前(6月ごろかな?)、この本をじっくり読む機会に恵まれまして。何を隠そう、丸の内のOAZO丸善で発見し、「これは私を呼んでいる!」と衝動買いしてしまったのですが、これが久しぶりに蘇我氏関係の本では久しぶりにマトモな研究書でした。しかも私みたいなミーハー素人でも、とっても分かるように書かれていて、親切。

 通例、蘇我入鹿は、悪役です。でも、日本書紀で悪役だっただけで、本当に「悪」だったかというと、甚だ疑問でした。蘇我という一族が、いかにして繁栄し、いかにして滅び、そして悪役とされたか。客観的見地から、丁寧な論証付けがなされていました。

 蘇我っていうのが先進文化を取り入れようとしたインターナショナルな一族で、そういう改革的路線というのは、いつの時代も初めは叩かれるもの。ことの発端はそこにあるようです。バラバラだった渡来人たちをうまくまとめ上げ、大王の下、土地の管理をバッチリ行い、仏教を取り入れ、新しい倭国を作ろうとしたのだと思います。馬子が推古女帝と若き聖徳太子とともに目指した先進国としての新しい日本。ところが、馬子亡き後、ひょんなことから入鹿が滅ぼすことになってしまった聖徳太子の息子・山背大兄皇子に対する同情と、「神聖な」聖徳太子の子を滅ぼしたということから悪役への道を歩む蝦夷・入鹿。

 この本の中では、蘇我が「私有地」をあまり有してはいなかったこと、いかにして蘇我が繁栄したかが、数字と文献からしっかり論証されています。蘇我の存在は、やはり推古女帝と馬子、そして聖徳太子の時代にしっかり身分を築いた馬子の存在が大きかったことがわかります。馬子さんってば、すごすぎる…蝦夷がコンプレックス持つのも納得。

入鹿図「悪役っぽい?」

 私はやっぱり、入鹿は非業の最期を遂げたんだと思います。蝦夷は推古女帝を支えた父のように、舒明・皇極両天皇とうまくいくことはなく…入鹿は、酒乱の父を見て、皇極女帝に近寄るも、その子中大兄に敵視され… 日本の黎明期に生きた大富豪の息子・入鹿が、何ゆえにこれほどまでに名を貶められなくてはならなくなったか。それは、聖徳太子の神聖視と中大兄の目指した、もう一つの改革路線によって、時代を下るにつれ、天智天皇と藤原氏、聖徳太子が「正義」とされたことによるものだと思ってしまいました。
 尚、上図は、Shallot筆・蘇我入鹿図。タイトルは、「悪役っぽい?(カッコイイだろ?)」。

『ダリ芸術のルーツ』 諸橋近代美術館

2006年08月14日 22:17

ダリ芸術のルーツ広告

久々の更新です!
実は、福島県裏磐梯へ行ってきました!(仕事ですけど…)
自分で企画をしたので、この仕事では好きなところへ行けました(笑)
というわけで、諸橋近代美術館です。
諸橋近代美術館全景

ダリの彫刻コレクションで有名なこの美術館は、
外観もとってもステキです!
外観を見るだけでも行きたくなります(笑)
でも、この外観だけではありませんでした…
コレクションの彫刻が凄い! 面白すぎです…
見ごたえ充分。お盆の時期だというのに、
あんまりお客さんがいなくて、個人的には
とっても静かで、充実したゆったりした中で
彫刻をみることができました!

ニュートンに捧ぐ

 「ニュートンに捧ぐ」という彫刻(上図)では、人間の臓腑と脳を刳り抜かれた、いわば人間の形骸がバラバラにされたアンバランスな彫刻の中に、何故か安定した空間が広がっています。完全なまでのデッサンには驚きです。足の指は切断されていますが、何故か一本多い小指が離れて置かれています。でも、この小指のひとつがないと、バランスが取れないのでしょうね~。最初この彫刻の面白さがよく判らなかったのですが、ついになっているような「腕のないニュートン」という小さな彫刻によって、「ニュートンに捧ぐ」の面白さが浮き彫りになります。
 「腕のないニュートン」は、「ニュートンに捧ぐ」と同じ構図でありながら、腕と足の小指が失われています。一本軸になった人間の形骸は、何故かどっしりした安定感があり、そこにはやはり縦長の空間があります。これによって、「ニュートンに捧ぐ」ではアンバランスさの中の安定感が発見され、こちらの彫刻で創造された空間は正方形であることが分かります。このアンバランスさが面白かったです。
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法隆寺宝物館 探検☆

2006年08月13日 22:26

金色の旗

先週、東京上野の東京国立博物館へ行きました。
そのとき、ついでに行った法隆寺宝物館。
蘇我入鹿大好きっ子にとっては、思わずモノをみながら、
あの時代にタイムとリップしてしまいました♪
龍首水瓶

入鹿さんのおじいちゃん、馬子さんの時代の「竜首水瓶」と呼ばれる水差しは、とても素晴らしい水差しです。あの時代の貴族は、こんな水差しでワイングラスの格好をしたコップに水を注いでいたんですね。ということは、勿論50年くらい差はあるけれど、入鹿さんや中大兄もこういう水差しを使ってたのかも。水差しの胴体部分の挿絵は、何処となくペルシア風というか、唐風というか、6世紀という時代の装飾の特徴が顕著に現れているようです。(あの時代って、鏡にしても葛篭にしても、細工画みたいな、とっても細かい絵や細工が多いですよね。デザイン的にも見事です。)
 12月末まで展示されているとのこと。機会があれば、是非見てみてください!

喧嘩

2006年08月04日 02:08


お堀の白鳥

深緑の椛の葉が枝を飾り。
芝の上には乾いた熱が彷徨っている。

雌鹿はまん丸の黒い瞳を泳がせて。
少し気をもってはいるものの。

ふぃと遠く、そっぽを向いて。
イライラしては、つんと鼻を尖らせて。

芝の上に彷徨っている熱には
何のことだかわからない、

どうして雌鹿が怒っているのか
熱にはとんと分からない。

熱は悄然として湿気を帯びて
夕闇の、芝草の中へ沈みゆき。

熱が消滅したその後に、
雌鹿は少し後悔し。
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