曼珠沙華

2006年09月30日 02:25

夜も ほんのり 更けたころ
樺の香 漂う 駅のホームに
朧に ともる 灯りの下に
老人が ひとり たたずんでいます
空には月が 黄色い影で
無垢な兎を 抱きしめています

老人は本の ペエジをめくり
ふとその顔を 見上げると
辺りいちめん 曼珠沙華
さらさらと浮かび 水面に
蜻蛉の影が 映ろうて

駅に列車は 来ませんけれど
そこはかとなく 吹く風に
ゆらりゆらりと 煌いて
いま一度ぽつり ひとりの霊が
み空へ消えて ゆきました

喧嘩の結末

2006年09月28日 02:10

ランボー全詩集 ランボー全詩集
J.N.A. ランボー (1994/07)
青土社

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 青土社の『ランボー全詩集』(平井・湯浅・中地共著)から。

 そういう自明な「世界の見方」を根本的に疑うことなく、その枠組みに応じて思考し、推論し、判断を下している限り、キリスト教思想とプラトン主義の伝統に律せられた生活=人生のなかで、また西欧近代の文化と社会においても、失われ、不可能となっているなにものかに気づくことはないだろう。(p.547.下段)

 「失われ、不可能となっているなにものかを取り戻そうとする人間を「獣」とか「黒人」とかいう語で呼んでいる。」と、筆者の湯浅氏は述べている。確かに、ランボオの『地獄の季節』の語り手は、こういう西欧近代の文化と社会を客観的に観察し、そこから脱却を試みようとしている。そして、いくら『地獄の季節』の語り手が白人であることから脱却しようとしても、「キリスト教思想」と「プラトン主義」の伝統の影響からは逃れられない。

 …う~ん。 ランボオは、『地獄の季節』の中で、いわゆる白人文化に対するアンチテーゼを呈示してるとも言えるんじゃないかな。この「キリスト教思想」と「プラトン主義」にどっぷりつかって、それを客観的に観察したり、批判したりすることもなく、もう本当に疑いもなく、受容してしまって、でもそこで「失われ、不可能となっているなにものか」を感じながら、でも気付けなかったのがバイロンじゃないかな? う~ん。『マンフレッド』なんかを読んでいるとそんな気もする。『シヨンの囚人』とかでもそんな気がする。

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オフィーリア・魂と水

2006年09月20日 06:15

 前回に引き続き、ちくま文庫『ローデンバック集成』から。

 こうして徐々に、石ころの発するゆったりとした助言にも我慢して耳を傾けるようになる。それゆえ私が想像するには、この静寂の中を歩いていたかもしれぬ残酷な、生まれたばかりの苦悩をはらんだ血まみれの魂は、もはやそれ以上生きまいとして、そこから、事物の秩序と共に逃げ出すのだ。近くの湖の岸辺で、魂は、シェークスピアの墓堀り人たちがオフェーリァについて語っていることの意味を悟るであろう。魂が水へと向かうのではなく、水の方から苦しんでいる魂を迎えにやって来るのであろうと! (「第Ⅲ部 ブリュージュ」p.401)

 オフィーリア大好きっ子としては見逃せない数行。しかもこの魂と水の位置関係から、ランボオの『イリュミナシオン』に収められている「大洪水のあと」のラストシーンを連想。魂が救いを求めて水に飛び込むのではなく、水のほうから魂を迎えに来る。ってことは、この語り手の解釈では、オフィーリアが水に飛び込んだんじゃなく、水のほうからオフィーリアを迎えに来たってこと…?

 …面白いじゃん。


ローデンバック集成 ローデンバック集成
ジョルジュ・ローデンバック (2005/09/07)
筑摩書房

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死についてローデンバックから

2006年09月17日 01:45

 筑摩文庫『ローデンバック集成』から、死者と時間の流れについての記述を発見。

「死者のすべてが、永遠の中では同じ年齢をもっている。不在者はすべて、不在ということからすれば、同じ領域内にいる。」(p.369、『霧の紡ぎ車』から「肖像の一生」より)

 これは果たしてバイロンが『マンフレッド』や『断片』(1816年夏のもの)などに描いていた死についての記述につながるのかなー…?

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筑摩書房
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地下水脈

2006年09月08日 01:14

しっとりとした砂に抱かれ
沈んでゆく肉体
深い海の水を含み
――地下水の音が聞こえる
  ちゅらちゅらと流れ落ちる
                水
しっとりとした砂は冷たく
撓垂れた髪の 黒光りする滝
深い海の毒を含み
――地下水の音が聞こえる
  ちゅらちゅらと流れ落ちる
                水

地下の水脈は途切れない
肉体の静脈は聞こえない
漆黒の闇に咲いた鯉の瞳が
生温い風を感じたかもしれない
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ほんのすこしだけ

2006年09月07日 02:56

すこし ゆっくりためいきをついて
すこし ぎゅっとまぶたをとじて
すこし からだのなかのきたないものを
      こころのなかのきたないものを
 なみだといっしょにながしてみたら
   これで すこしは ほっとしますか
     これで すこしは やすまりますか

ひとの ひとの わるくちをいって
  ひとの ひとの すききらいをして
    そうしてすこしは やすらぐのですか
      そうしてすこしは まんぞくですか
 いいえ、じぶんがみにくくなって
 いいえ、じぶんをきらいになって
   ますます じぶんがいやになる
      ますます じぶんをやめたくなる

こんなきたないじぶんがいるよな
こんなきたないこころはいらない

すこし ゆっくりためいきをついて
すこし ぎゅっとまぶたをとじて
 そうしてすこし はんせいをしたら
 ほんのりすこし じぶんをすきで いられるでしょうか
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真夏の哀歌

2006年09月02日 23:51

真っ白な砂の浜辺が在って
真っ白な翼の羽が舞って
真っ白な波の泡に浚われて
息絶えた 真夏の天使

睫は長く波にあらわれ
その青褪めた頬が 青褪めた唇が
真っ白な砂を紅らめさせて
真っ白な木綿の服が 帯が
真っ青な海をくちごもらせて
波はか細い声で 呟くばっかりで

真昼の夏の浜辺に
謳歌した花々の夢も
今はもう風に揺られるままに
悲しみの哀歌(エレジィ)を 紡ぎ出すばっかりで

太陽へと向かう巨大な棕櫚の広げた腕は
あの真夏の天使を 受け止められなかったのか
彼の硬直した腕をよそに
あぁ いま ひとひらの黒揚羽が
軽い眩暈に襲われて 
ふらふらと 
真っ青な空へ
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