イネスに

2009年05月31日 00:40

スペインの女性2

【チャイルドハロルドの巡礼】第1編より、84連挿入歌「イネスに」
    バイロン作  Shallot B.訳

イネスに

1.
いやだ、僕の陰鬱な額に微笑まないでくれ、
 ああ! 僕は微笑み返せないんだ。
しかし天よ、妨げよ、きみが泣くのを、
 たぶん虚しく泣くことを。

2.
そして青春の喜びを蝕むような、
どんな秘密裡の悲嘆に耐えられるのかをきみは訊くのか?
そしてきみでさえ宥められない痛みを、
 きみは虚しく知ろうとするのか?

3.
僕にいまの立場を厭わせ、
 僕が大切にしていたものからなにもかも捨てろと命じているのは、
愛じゃないし、憎しみでもないし、
 野卑な<野心>が失った栄誉でもない。

4.
それは僕が見聞きするものすべてから
 溢れ出す倦怠というやつさ。
美女も僕には喜びをもたらしはしない。
 きみの瞳だって僕をほとんど魅了しはしない。

5.
それは、伝説の<さまよえるユダヤ人>が耐えていた、
 除けられない終わりなきあの陰鬱さだ。
それはあの世を見渡すことなく、
 現世での憩いも望めない。

6.
追放者は誰でも己からは逃れられない。
 どこへでも、どんなにどんなに離れても、
まだ、まだ追いかけてくる、僕がどこにいようとも、
 人生を枯れさせるもの、<想念>という悪魔が。

7.
けれど他のひとは快楽に夢中になっているようで、
 僕の棄てるものをすべて味わっている。
あぁ! どうか彼らが夢に夢中で、
 せめて僕のように目覚めることがありませんように!

8.
たくさんの忌わしい思い出を秘め、
たくさんの地を潜り抜け、僕は行くんだ。
そして僕の慰めはただ、何が起ころうと、
 最悪を知ってしまったと分かっていることだ。

9.
最悪とは何か? いやだ、訊かないでくれ。
 どうかお願いだ、訊かないでくれ。
微笑んで、ひとの心の仮面をはがし、
 そこにある地獄を見ようなどとは思わないでくれ。
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「太宰治と中原中也」@研究集会報告

2009年05月30日 23:12

4月の新宿09の8

第13回中原中也の会研究集会「太宰治と中原中也」(午後の部)へ行ってきました!

場所が日本近代文学館だったので、東大駒場駅からてくてく歩いていきました。なんだか大きなお屋敷というよりもお城みたいなおうちがいっぱい並んでいて、どこも素敵な感じにお花が咲いていたりして、なんだか夢心地…(笑) 見慣れないのでキョロキョロしちゃいました(←場末の小娘ですんで…/汗)

受付を済ませて開場に入ると、なんか頭良さそーな方々がいっぱい…(><;)
それでも、昔ほど気後れしなくなりました(汗)。
前から3列目の、大学で授業を受けるときのマイポジションを確保。机がないのが痛かったです~…。 メモとるだけで、首がパリパリいいます…(肩凝り悪化)。とりあえず、勉強準備完了。

 1時40分から、高橋源一郎さんが、「日本語の冒険 太宰治と中原中也」というテーマでとっても楽しい話術で話されました。
 年譜を並べてみると、2歳しか違わないし、共通項も多く、たとえば昭和11年に、それぞれの理由で病院に入院している(中原は精神、太宰は麻薬)から、フィクションの中では出会っているでしょうね、というジョーク(?)もありました。
 結果として、中原よりも太宰のほうが永く生きるのですが、太宰は中原について生前殆ど言及をしておらず、しかしながら確実に意識していただろうという指摘は興味深かったです。作家が最も影響を受けた文学家については殆ど言及しない(e.g.二葉亭四迷のチェホフ)という具体例があって、私は頭の中でランボーのボードレールの影響を思わず浮かべておりました。
 中原と太宰の共通項として、もうひとつ、昔友人達に「私、太宰or中原が好きです☆」って言うのがはばかられた時代があったそうです。でも、80年代以降、堂々と「私、太宰or中原が好きです☆」って言えるようになったことが、実は社会の前線で受け入れられるようになったことを象徴しているのではないか、ということでした。
 太宰のひとつの特徴として、最初と最後の行がカッコイイ! ってことを仰られていて、たとえば現代作家の山田詠美の『風味絶佳』(短編集)では、それが踏襲されていることなどを踏まえ、<目立つ>文体について言及されました。他の日本文学作品(たとえば志賀直哉)はおおよそつめたく、かたく、透明な文体を目指していることに対し、太宰は目立ちすぎるフレーズを次々に投入している。これが中原との大きな共通項として挙げられるそうです。
 中原の場合も同様で、記憶に残りやすい、目立つフレーズが多い。歌謡の世界と大きく幅を同一にするフレーズがたくさんあります。
 日本の文学は、内面に進化を隠しており、表面は目立ってはならないという暗黙の合意があり、太宰はそれに大きく違反し、表面に書いてあるから、表面を見ろ、と言っているようです。(ここで私はボードレールとかワイルドなんかを思い浮かべたのは言うまでもなく…。ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』の一節を思い出しました。)
 太宰は、作家は読者に対するサービス業であり、心づくしをするのが仕事だと思っていたらしいです。彼は講談や落語を好み、これらが含有する日本の古典的エンターテインメント(=もてなし)をそのまま小説に取り込んでいたとのこと。その巧みの技のひとつが、colloquial(=口語)です。
 太宰も中原も、とても耳のいい、音楽的な作家/詩人でした。太宰は「女生徒」や「斜陽」に挙げられる、女性の語り口を好み、中原は「秋」に挙げられる口語表現。日本文学の従来の文体(つめたく、かたく、透明な文体)は、透明を装うことで深いものがあるかのように見せかける(高橋さんは、これを<偽装内面>と呼んでいます)のですが、太宰はこれに嫌悪感を抱いていたのではないかということです。
 私は、ちょっと疋田雅昭先生の『接続する中也』の最初のほうに書かれていた中原の文体論のところを思い出していました。高橋さんが「太宰は現在の表面に浮かぶうたかたのようなことばにも、埋められて埋葬された過去の日本語にも飛び、あらゆる手段を駆使することで、読者の耳に残ることばを書き上げた」という指摘に、中原の口語と文語の巧みな使い分けを思い出したわけです。
 最後に、高橋さんはこれからの日本文学の未来についてお話されました。口語という巨大な潮流が、これからの文学の柱になるのではないか、という預言でした。

2時55分からはシンポジウム「道化とその背後 ―1930年代の太宰治と中原中也」でした。こちらでは東郷克美先生と北川透先生がパネリストでした。(かの有名な北川さんを肉眼で見れると思うと、ちょっとドキドキでした/汗)
 道化とは、レトリックでは模倣(=ミメーシス)からパロディーへと向かうことであり、また自嘲的な態度でもあることが指摘されました。なんかランボーの自己劇化みたいだなぁと感じた次第です。

 ところで、そのシンポジウムの最後の、質疑応答のとき、ミラクルが起こり、だれも質問しなかったら、司会の伝馬先生がななな、なんと! 疋田先生をご指名ぃー!>▽< 思わず振り返っちゃったんですが、残念ながら疋田先生を確認できず…(;-;) でも、想像通りの清々しい爽やかなお声がスピーカーから聞こえてきまして、的を絞った的確な質問をサラリとなさっていました…姫系キラキラさすがです~~*>▽<* 

 最後の最後のほうで、道化→ハムレットの話になったとき、無駄にテンションあがったのは内緒です絵文字名を入力してください
 さて、私のバイロン(&ランボー)のお勉強に一役かってくれるかなー?

ハロルドの恋、狂気の妄想。

2009年05月29日 00:32

スペインの女性1

【チャイルドハロルドの巡礼】第1編より、82連-84連
    バイロン作  Shallot B.訳

82
ああ! 幾度も幾度もハロルドは恋をした、
あるいは恋したことを夢に見たのだ、狂気は夢なのだから。
しかし今や、彼の頑ななこころは動じなかった。
なぜならまだ彼は<忘却の河>の流れを口にしてはいなかったからだ。
そして彼は最近、<愛>の持ちもので翼ほどありがたいものはないのだと
心から思うようになったのだ。
<愛>がどれほど美しく、若く、優しく見えても、
<喜び>の甘美な泉の水源からいっぱいに、花のうえに
泡立つ毒が苦しみを投げつけるのだ。

83
しかし、今や賢者が心を動かすのように、こころを動かすだけではあるが、
美しい姿に対して、彼は盲目ではなかった。
<哲学>が彼女の穢れない荘厳な眼差しを
そのような心に投げかけくだすったことはなかった。
しかし<情熱>は荒れ狂って眠りにつくか、逃げてしまう。
そして<悪徳>は、自身の艶かしい墓を掘り、もう立ち上がれない。
<快楽>に飽和した犠牲者よ! 人生を忌み嫌う陰鬱さが、
彼の額に、呪われたカインの流離の運命を刻みつけたのだ。

84
彼はいつも人の群れを見詰めていたが、決して交わりはしなかった。
しかし、人間嫌いの憎しみを持って見ていたのでもなかった。
今や彼は進んで踊りや歌に加わりたいと思っていた。
しかし、運命の下に沈む者が微笑めるものだろうか?
何を見ても、彼の悲しみは癒えることがなかった。
しかしかつて、<悪魔>の支配に抗って、
<美>のあずまやに物憂く座っていたときに、
より幸せな日をなだめた魅力と同じほど美しい魅力のために、
こうしておもむろに歌い始めた。
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『ぬらりひょんの孫』本誌第59幕

2009年05月25日 23:30

09年5月25日の牛鬼さん

2009年26号(5月25日発売)の『ぬらりひょんの孫』…。
久々に電車の中でにへっとしてしまった…(汗)

おじいちゃんの若いころエピソード。
なんか、いつもの『ぬら孫』と雰囲気がチガウ!
おとなっぽい…(笑) 雪女とか、特に…☆

牛鬼…ラブ過ぎるだろっ!!*>▽<*
ミクシィも久々に盛り上がってました(笑)
(ロムしてるだけですが/汗)

いや~… 無駄に頑張ってる牛鬼が素敵kingじーっ
若いわぁ…(笑) 萌ぇえ~ハート

早くコミックになんないかなぁネコ

Deana Carter「Once Upon a December」

2009年05月24日 15:55



You Tubeで素敵な映像を発見。思わず口ずさんでいると、妙に頭に残るメロディーだと気づきまして。
この音楽、やっぱり中世風&小唄風のアレンジをすると、素敵なメロディーだったのね!



先週、仕事で一日に2回アニメーションの映画『アナスタシア』の「Once Upon a December」(↑上の動画の場面)を見たら、頭から抜けなくなってしまって、週末はこればっかり口ずさんでいる模様。見ているときに、「幻とはいえ、死んだ家族の魂がみんな宮殿へと戻ってきて彼女と一緒に踊るというのは、とても残酷で悲劇的なシーンなんじゃないだろうか……」と子供向けのアニメにひとりじーんと心に感じてしまったのは内緒です。歴史の悲劇、なんて簡単に説明されるけれど、もしこれが本当にあったことだったら、あるいは文学作品のワンシーンだったら、とても切なく、辛い場面に違いないと思うんですね…。

することがいっぱいの休日に、ちょっとYou Tubeで遊んじゃいました(笑)。
さて、仕事、仕事!!

『マーク・ロスコ 瞑想する絵画』@川村記念美術館

2009年05月23日 21:55

4月の新宿09の7

千葉県佐倉の川村記念美術館には、何回か行ったこともあり、常設展の作品ではエルンストの「石化せる森」というのが大好きなので、それを見るだけでも嬉しいんですが、今回はあのロスコ・ルームが企画展になって拡大版だというので、見に行ってきました。

題して、「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」。(6月7日日曜日までの開催。)はろるど・わーどでも随分前に取り上げられた、立派な絵画展の模様

抽象絵画の場合、私にとって見やすい絵画というのは、おおかた想像力が働く、何らかのドラマが見いだせる絵画であり、以前同美術館で見たリヒターの展覧会は、が書けちゃうほどお気に入りの展覧会でした。

何度も同美術館が設置しているロスコ・ルームには訪れているのですが、今まで照明が暗くて、<何か>が出てくるような、不気味な感じしか受けず、あまり感銘を受けることもなく、退屈だったことが多い作家だったんですね。

で、今回、明るく&広く展示してあるというので、あんまり期待せずに見に行きました。

いいじゃないですか~!!

赤や朱や黒の微妙に色彩の異なるいくつものフレームが、手書きの筆による形の歪みから、向こう側に<何か>を想像させるような空間が出来上がっていました。一枚一枚の絵画自体が何らかの完成を示すのではなく、複数枚を広く明るい空間に掲げることで、フレームのひとつひとつの向こう側が見えてくるんですね。

私の脳裏によぎったのは、朱のフレームの向こう側には、煮えたぎるような若さの溢れる世界。黒には「死」や「悪魔」や、まぁ言ってみれば冷たく凍えた地獄の世界(地獄は炎に焼かれるっていうけれど、どっちかっていうと『神曲』の最下層部の暗黒の世界のような…深淵が見えました)。背景の小豆色とほとんど同じ色で書かれた「消えかけ」のフレームのむこうには、むしろ空間の歪みが見えました。空間って、あのフレームが出現したり消滅したりすることで、向こう側があったり消えかけたりしているように思えるんですね。

いちばんいいなぁ、って思ったのは朱のフレームだったんですが、いちばん心に響いたのは、赤いフレームでした。

赤って言うと、どうしても「愛」とかそっち方面を浮かべそうな感じもしないでもないんですが、この深い赤は、ランボーの『地獄の季節』の一節に出てくる「悲しみの楽園」を想起させました。撞着語法のこのことば、愛するひとと一緒にいるのが幸せであるはずなのに、その終わりや結末が見え隠れする刹那的な幸福を表現する「狂気の処女」(「錯乱Ⅰ」)のことばです。ただの赤い、しっかりと枠組みがひかれているフレームだったら、「深い愛情」とか、もっとポジティブなものに表象できるような気もするんですが、あの深い赤は、そしてフレームの脆弱さは、そんな簡単な、安直な言葉では言い表せないように思いました。

苦手だったロスコの抽象絵画。
なんだかちょっとだけ好きになりました☆

ミルトン『失楽園』(上)読了

2009年05月22日 23:55

4月の新宿09の6

失楽園 上   岩波文庫 赤 206-2失楽園 上 岩波文庫 赤 206-2
(1981/01)
ミルトン

商品詳細を見る


昔、マリオ・プラーツの『肉体と死と悪魔』をペラペラめくっているときに、いちばん初めに出てきたのがミルトンのサタンについてのお話だったけれど、『パラダイス・ロスト(失楽園)』自体を読んだこともなかったので、イマイチピンとこなかったんですね。で、数年前、K先生の授業で『パラダイス・ロスト』を原文でつまみ読みしたときも、なんだか銅版画の中世絵画を見ているようで、どうも動きが想像できなくて、あんまり面白みが感じられないまま…

先の年末、とある先生に「サタンは摑みやすいですよ☆ ついでに、アダムとイヴの夫婦の会話はめちゃめちゃ人間臭いし、ま、ジェンダーから見ると全然価値観ちがうなぁーって思うかもしれないけど、でもアダムの間抜けさは一見の価値ありですよ」と伺って、…早数ヶ月。

用あって、悪魔関係の絵画を見始めたら、やっぱり出てきちゃった~…
避けては通れぬ道なのね…

と思って、(睡眠薬代わりに/汗)読み始めました、岩波文庫の『失楽園』。
――結論。睡眠薬ではなく、カフェインになってしまいました(笑)。

昔は銅版画の動きのない絵画のように思われた文章が、何故かヒエロニムス・ボスの絵画を見て以来、なんというアニメチックな動きをするんでしょう! 
このキャラたち(`*・ω・*´)!素敵~☆

特に第2巻のサタンと娘「罪」、息子「死」を巡るエピソードでは、カフェインどころか、眼が冴えまくり……☆壮絶でした。こんな禁忌を侵すような設定と描写は、あんまり見たことがありませんね~。第4巻のサタンの懊悩も凄まじい自我との戦いの一面を垣間見た気がします。

ちなみに、夕べ、第5巻のイヴの食卓さながら、夕飯を準備するのも面倒だった私は、
イヴごっこならぬフルーツ・パーティーでラファエロな気分を味わいました☆。

下巻も楽しみです☆

肉体と死と悪魔―ロマンティック・アゴニー

若い女の子は自由気まま!

2009年05月18日 12:29

4月の新宿09の4

【チャイルドハロルドの巡礼】第1編より、80連-81連
    バイロン作  Shallot B.訳

80
スペインの乙女をおびき寄せ、スペインの若者を活気づけるのは
こうした荒っぽい楽しみなのだ。
子供のころから血しぶきで育てられ、
彼のこころは他人の痛みを満足げにうち眺めつつ、復讐に喜びを見出すのだ。
なんという個人的な宿根が、苦悩する村に血痕をつけ汚すことか!
今や、ひとつのまとまった軍勢となって敵に対峙するべきなのだが、
味方に対する闇討ちをもくろむために、ああ、
つましい家に居残るものがけっこういるのだ。
ちょっとした苛立ちが原因で、命の熱い血潮が溢れなければならないのだ。

81
けれど、<嫉妬>は逃げおおせた。その閂、その錠、
痩せこけた見張り番、老獪なばあやよ!
<嫉妬>という厳しい老爺が押さえつけられると思っていた寛容なこころ、
そのようなこころが抗うすべては、廃れた時代と共に闇へと消えた。
(噴火のような憤怒のなかで<戦争>が起き上がるまえ、)
スペインの少女たちのように自由に見えた者が、最近はいたかな?
少女たちの編み毛が草原を跳ねると同時に、
夜の恋人を愛する女王は、陽気な舞踏を照らし出した。
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二匹の仔猫

2009年05月17日 18:30

4月の新宿09の5

仔猫が二匹、座っていました。一匹は灰色、もう一匹は白猫でした。
二匹はどこへ行くのも一緒でした。

ある午後、二匹は古い家の軒先に座っていました。
降りしきる驟雨は、細くまっすぐに流れ落ちる灰色猫の毛並みのように輝いていました。
そんな雨の中、二人の眼には打たれ続ける芙蓉の大輪の花が映っていたのです。
白い猫は言いました。
「あんなに大きな花でさえも、雨にあんなに打たれなくっちゃいけないんだね。」
灰色猫は見ているうちにだんだん芙蓉の花が気の毒になってきました。
雨の降る前は、真っ白に光り輝いていたのに、
今では跳ね上がる泥に染みをつけられ、薄絹のような花びらもすっかり萎れていたのです。

ある夕暮れ、二匹は町を流れる小さな川の土手にちょこんと座っていました。
空は青から紫苑の花の色へと美しいグラデーションに輝いていて、
そこを白猫の毛なみのようにふわふわとした柔らかで繊毛雲が流れていくのでした。
灰色の猫は言いました。
「最近じゃあ、陽の神様は何をやってもうまくいかない。」
白猫は太陽が大好きでした。しかし、
きらきらと何も気にせずに強い西日を投げかけている太陽は、
最近では地球を温めすぎるとか、
砂漠を拡大化させるとか、
アスファルトを照り返させすぎるとか、
責められる所以のないことで、もういろいろな文句を言われすぎていたのです。

二匹の猫は、ただもうどうしようもなく、広い広い空の下で、のんびりとあくびをしました。
やがて、どこかの家の台所から、美味しい焼き鳥と焼き魚の匂いがしてきました。
二匹は顔を見合わせてにっこりと微笑むと、立ち昇る夕月に向かって、
ちょこちょこと歩いていきました。

   おしまい
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J-マゴコロ開設!

2009年05月16日 18:00

4月の新宿09の3

ここのところ、なんだかあんまり詩が書けないままだったので、ものは試しに「ヒーリング系」の和歌を詠んでみようと、別にひとつブログを開設しました。その名も「J-マゴコロ」。チャラい系のかる~いノリで書いていく所存でございます…

J-マゴコロ

J-マゴコロでは、10代後半から40代の女性たちの癒し系のことばあつめを目指しますっ!
いろんな立場や考え方をもった女のひとたちの想像力を刺激できればいいなぁ~。

こちらの本家Under Waterともども、よろしくお願いいたします☆

猫の眼の中の時刻

2009年05月15日 21:55

4月の新宿09の2
時計  ボードレール作

 中国人は猫たちの眼の中に時刻を見る。
 ある日、南京の郊外を散歩していた一人の宣教師が、時計を忘れてきたことに気づき、小さな男の子に、いま何時であるかと尋ねた。
 <天帝の国>のわんぱく小僧は初めためらったが、思い直して、「今すぐ教えてあげます」と答えた。間もなく、彼は腕にたいそう肥った猫を抱いて戻ってきたが、よく言うように、猫の白眼を見つめながら、「まだきっちり正午ではありません」と、ためらわずに断言した。それは正しかった。
 私はといえば、彼女の同性の誉れでもあり、私の心の誇りでもあり、私の精神の香りでもある、麗しの<猫姫>、いみじくもかく名づけられた女の方へと身を屈める時、夜であろうと、昼であろうと、全たき光の中であろうと、光を透さぬ陰の中であろうと、彼女の愛らしい眼の奥に、私はいつもはっきりと、時刻を、いつも同じ時刻を、広漠として荘厳で、空間のように大きく、分や秒の区分のない一つの時刻を見る、――時計の上に刻まれぬ、不動の時刻、それでいて、溜息のように軽やかで、目の一瞥のように速やかな時刻を。
 そしてもしも、この甘美な文字盤の上に私の眼差しがじっと止まっている時、誰かうるさい奴がやって来て邪魔するなら、もしも、どこかの無作法で料簡のせまい<精霊>、誰やら間の悪い<魔物>がやって来て、「そんなに念を入れて、何を見ているのかね? そのひとの眼の中に何を探しているのだね? 時刻でも見えるのかね、いずれは死ぬ身の浪費屋、怠けものよ?」などと私に言おうものなら、私はためらわずに答えるだろう、「そうとも、時刻が見える。時刻は今<永遠>だ!」と。
 さて奥さん、これこそはまさに賞められるねうちのある恋唄、その大仰なあなたご自身にもひけをとらぬ恋唄ではないでしょうか? 本当のところ、私はこの気障な口説の刺繍をしながら大いに楽しんだものですから、お返しにあなたから何をいただこうとも思わぬしだいです。

  (阿部良雄訳『ボードレール全詩集Ⅱ 小散文詩 パリの憂鬱他』筑摩書房[ちくま文庫]、50-51頁より抜粋)
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ウハキはハミガキ

2009年05月10日 18:56

4月の新宿09の1

ウハキはハミガキ
ウハバミはウロコ
太陽が落ちて
太陽の世界が始まった


   (中原中也「ダダ音楽の歌詞」より)

なんだか異様にリズムがいいです~ この一連。
ウハバミといえば、『星の王子様』の冒頭を思い出しますが、そうでなくても、ダダだから深い意味はなくて、単に音声的な問題で作られたものであっても、なんとなくロマンチックな挿絵を施したくなります(笑)。

『ハロルド』第1編の原文での読了まであと20連。今月中を目指します!
がむばるぞー!!o(>-<)o

壮絶! 闘牛としての雄牛

2009年05月09日 15:32

crimson of blood

【チャイルドハロルドの巡礼】第1編より、68連-79連
    バイロン作  Shallot B.訳

68
恵みの休息の日が、安息日がやってくる。
このキリスト教の岸辺には何を捧げるのだろうか?
見ろ! 荘厳な祝宴が捧げられる。
聞け! 森の王者のうなり声が聞こえなかったか?
槍をへし折り、その角の下に投げ出された
人間と馬の血の匂いをかぎまわる。
人だかりの闘技場は、更なる求めに叫び、沸き返る。
狂った群集があらたに引き裂かれたはらわたをめぐり叫ぶのだ、
女の目も怯むことなく、嘆くふりさえしない。

(69-70省略)

71
馬鹿騒ぎはだれもがするもの。しかし、おまえのようなものはない、
黝い海のうえに立ち昇る街、美しいカディスよ!
朝の祈りの鐘が9時を告げるやいなや、
おまえの聖なる崇拝者たちは十字架をつま繰り祈りを唱える。
祈る人と同じ数の罪を赦してほしいと
(僕がここで唯一の処女じゃないかと思っている)
聖母マリアはせがまれる。
それから連中は込み合った闘技場へと向かうのだ。
若者も、老人も、身分の貴賎を問わず、いっせいに同じ娯楽につきあうのだ。

72
闘技場は開かれ、広場は片付けられ、
何千人もの人々が周りを囲み席に着く。
最初の喇叭の音が聞かれるずっと前から
空席はなく、遅れてくれば席がない。
貴族、公爵、それからとくに貴婦人たちがつめかけ、
不埒な瞳で色目を使って、
かつての傷を癒したいとおもうのだ。
狂気の詩人たちの言うように、彼女たちの冷たい軽蔑で、
<愛>の悲しい矢によって、誰も死んだりはしない。

73
やかましい話し声が止む。豪奢な馬には、
乳白色の兜、黄金の拍車、そして軽く整えられた槍を身につけ、
4人の騎馬武者が大胆な行為の準備を整え、
深くお辞儀をして闘技場へと進むのだ。
肩掛けは豊かで、馬は巧みに跳ね上がる。
もしも今日の危険な試合に勝って輝ければ、
群衆の大きな歓声と、貴婦人たちの愛らしい一瞥と、
勇敢な行為に対する最上の賞賛をあたえられ、
さらに王や諸侯がこれまで獲得したすべてで、労苦に報いてくれるのだ。

74
高価で華麗な衣装と豪奢なマントに身をつつみ、
馬にも乗らない、足の速いの闘牛士が、
中央に立ち、牛の群の王への臨戦態勢をとる。
しかしそのまえに、慎重な足取りでそこらじゅうを歩いて確かめる。
彼の敏捷さを妨げるなにかが隠れているといけないから。
彼の武器は投槍で、離れて戦うけれど、
味方になる馬がなければ、人はなにもなしとげられない。
ああ! ひとのかわりにあまりに多くの痛みに耐え、血を流す宿命を負わせるとは。

75
3度、喇叭の音が響く。見ろ! 合図の旗が降り、
檻が開き、黙ったままの<期待>が
人垣のまわりで大口をあけているのだ。
力強い動物が突然飛び跳ね、
荒々しく睨みつけ、足を踏み鳴らし、
砂を蹴散らすのだが、まっしぐらに敵に突進しはしない。
そこ、ここに、最初の攻撃に対し、牛は威嚇する角を突き出し、
前後に怒れる尾を大きく振る。
赤く見開かれた眼がギラリと光る。

76
突如、牛が止まる。眼は動かない。去れ、
立ち去れ、無用心な小僧! 槍を構えろ。
さあ、おまえの滅びるときだ、
でなきゃ、俺の暴走を止める技術を見せるんだ。
タイミングよく尻を動かし、素早い軍馬が身をかわす。
雄牛は泡を吹くが、無傷のままではいられない。
脇腹からは、鮮やかな深紅の流れが溢れ出し、
七転八倒し、苦痛に狂い転げまわる。
矢が降り注ぎ、槍が降り、牛の雄叫びがその悲嘆を物語る。

77
ふたたび牛は突き進む、矢も槍も役立たず、
苦しむ馬が荒々しく飛び跳ねても無駄だ。
人間と、人間の報復の一撃が放たれても、
武器は甲斐なく、力も虚しい。
豪奢な馬も引き裂かれて八つ裂きの死体だ。
別の馬は、身も凍るような光景だ! 引き裂かれて現れている、
血まみれの胸から命の鼓動を打つ心臓が見えている。
死に打ちのめされても、その弱々しい体を持ち上げ、
もがきながら、すべてに抗い、無傷の主人を支えている。

78
裏をかかれ、血を流し、息を切らし、最期まで憤怒の状態で、
窮境で、満身創痍、雄牛は中央に立っている。
傷つき、矢が、折れた槍が突き刺さり、
残虐な闘いの、無力な敵の中で、立っている。
そして今、牛の周りで闘牛士はふざけ、
赤いマントを翻し、剣を構える。
いまふたたび渾身の轟く一撃に突進する。
虚しい憤激! マントは巧みな手を離れ、
その獰猛な眼を包む。終わった。牛は砂塵に帰するのだ。

79
その大きな首と脊柱が合わさる部分に、
致命傷を与える刀が突き刺さっている。
牛は止まり、少し歩み、崩れてはいけないと思う。
勝利の叫びのただなかで、ゆっくりと牛は崩れ落ちる。
うめきもなく、あがきもせずに死んでゆく。
飾り立てられた車が高く現れる。
死骸は積まれる。野卑な眼には心地よい。
手綱に逆らう4頭の馬が逆らう間もなくすぐに
黒い雄牛を引いていく、やがてすぐに見えなくなるのだ。
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カディスへと逃れた愛欲の女神

2009年05月08日 17:50

カディスの夕暮れ

【チャイルドハロルドの巡礼】第1編より、65連-67連
    バイロン作  Shallot B.訳

65
誇り高いセヴィリヤの街は麗しい。国を自慢させてやれ、
その強さを、富を、古代遺跡を誇らせてやれ。
しかし遙かな岸辺に立ちのぼるカディスが、
生まれは卑しくともさらに優しい賛美を引き出す。
ああ、<悪徳>よ! おまえの艶やかな手管のなんと優美なことか!
少年の血が頭にのぼるとき、
おまえの魅力的な眼差しの誘惑を、逃れられるものか。
われらのまわりで、智天使を装ったヒドラのようなおまえは大きく口をひらき、
欺瞞的な姿をあらゆる嗜好に合わせるのだ。

66
忌わしい<時>よ! すべてを征服する女王でさえ、おまえに屈さねばならない。
パフォスの神殿が<時>に打ち崩されたとき、
<快楽>は逃げたが、おなじくらい温暖な国を求めた。
ほかのものには不忠なヴィーナスも、故郷の海には忠を尽くし、
ここに逃れてきて、この白壁の内側に御社を定めたのだ。
女神はその崇拝をひとつの社に限らないけれども、
その儀式に捧げるために、
幾千もの祭壇が並び、
いつまでも炎が燃え続けている。

67
朝から晩まで、そして晩から、宴に高笑う連中を、
朝がこっそり見ては頬を赤らめるまで、
歌が聞こえ、薔薇の花飾りは身につけられる。
風変わりな趣向や、新しい戯れが
踵を接して歩いてゆく。ここに逗留するひとは、
喜びを落ち着かせ、永い別れを述べるのだ。
なにものも宴を妨げはしないが、
ほんとうの信仰の代わりに、修道院じみた御香が焚かれ、
<愛>と<祈り>は一体となり、あるいは交互に時間を支配するのだ。
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詩神の棲む山に捧ぐ賛歌

2009年05月07日 12:07

パルナッソス山(Wikiより)

【チャイルドハロルドの巡礼】第1編より、61連-64連
    バイロン作  Shallot B.訳
61
ときおり僕はおまえを夢に見てきたのだ! おまえの誉高い名を
知らない者は、人間のもっとも聖なる教えを知らないのだ。
そして、僕はおまえを目にする。ああ、はずかしくおもうのだ、
僕がか細い声で讃えなければならないことを。
僕がおまえの崇拝者たちについて物語るとき、
僕はうち震え、ただ膝を折ることしかできない。
声を上げることも、虚しく挑戦的に飛び上がることもせず、
やっとおまえを見ているのだという思うと、静かな喜びを感じ、
ただおまえの曇った天蓋の下で、見つめているばかりなのだ。

62
運命により遠い故郷に閉ざされた偉大なる詩人たちよりも
ここにいることが出来て幸せな僕が、
ほかのひとたちが知らずに夢中になっている
この神聖視される光景を、動じることなく見つめることができようか?
ここにはもはやアポロが洞窟には訪れず、
そして詩神の御座であるおまえは、いまやその陵墓となっているとしても、
まだこの場を漂う優しい精霊たちもあり、
風に溜め息を混じらせ、洞穴では沈黙を守り、
おまえの調べのような波のうえをそっときらめき流れゆく。

63
おまえについてはまたこんど。――歌の途中でさえ
ここに敬意を払い、脇へ逸れてしまい、
この土地のことや、息子たちのことや、スペインの乙女たち、
スペインの運命や、たいせつな自由に生まれついた心をなおざりにしてしまった。
たぶん涙ながらに、おまえを讃えてしまったのだ。
さて主題に戻ろう。――しかし、おまえの聖なる場所から、
切れ端を、記念の品を持って行かせてほしいのだ。
ダフネーの不滅の樹の葉を一枚、譲ってくれ。
そして、おまえの信者の望みを口先だけのものだと思わせないでくれ。

64
美しい山よ、ギリシアが若かったころ、
おまえの広大な麓のまわりには、愛欲の熱く火照る膝の上で育まれた
アンダルシアの乙女たちがもっとも輝いていた歌い手があった。
デルポイの巫女たちが、人間の熱情以上に激しくお告げの賛歌を歌ったとき、
デルポイの神殿でさえ、アンダルシアの乙女たちより
愛の歌を鼓舞するのにふさわしい人々を
見つめてはいなかった。
ああ! その原野を<栄光>が逃げ去っても、
ギリシアが授けたような平和な木陰を、彼女たちにも授けてくれたなら。
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井村君江『ケルトの神話』読了

2009年05月06日 00:12

ケルトの神話―女神と英雄と妖精と (ちくま文庫)ケルトの神話―女神と英雄と妖精と (ちくま文庫)
(1990/03)
井村 君江

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最近筑摩文庫をお小遣いの小銭で買うのがちょっとしたマイブームなのですが、今回は井村君江の『ケルトの神話』を読んでみました。諸事情からアーサー王関連のことを読み出して、まだまだなのですが、中世よりもむしろ古代の、原始のケルトに興味を抱き始め…。

以前、フィオナ・マクラウドの『かなしき女王』を読んで大いに共感したし、サトクリフの『闇の女王に捧げる歌』もすごくハマってしまった覚えがあります。「ケルトの女王って、みんなあんな感じなのかしら?」と、うきうきしながら読みました。

今回の『ケルトの神話』では、『かなしき女王』に出てきた英雄ク・ホリン(クフラン)と「影の国」のスカサハ(スカァア)のところでかなりテンションあがったんですが、サラッと書かれていたので、マクラウドの想像がかなり巧かったことがよくわかりました。(pp.175-179.)第2節ダーナ神族の神話の最後、戦いの女神たちであるモリグー・バズヴ・ヴァハとメェヴの説明は、ケルトの女たちの強さが象徴されていたように思います。

ケルトの女性たちがみんなみんな女戦士というわけではないですし、もちろん優美だったり優しかったり、極めて「女性的な」女性たちもたくさんいました。でも、女戦士として戦いに挑んだり、刀を持って自分で道を切り開いたりする姿は、どうやらかなり割合として高いように感じられました&そして私はそんな彼女たちの姿にひたすら憧れるばっかりなのです(笑)。

メェヴも、スカサハも、ヴーディカも、みんな大好きです☆(笑)

…あんなふうに、強く強くいられたらなぁ~…(溜め息)☆

闇の女王にささげる歌闇の女王にささげる歌
(2002/12)
ローズマリー サトクリフ

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かなしき女王―ケルト幻想作品集 (ちくま文庫)かなしき女王―ケルト幻想作品集 (ちくま文庫)
(2005/11)
フィオナ マクラウド

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オフィーリアの歌と花言葉

2009年05月05日 12:00

ホワイトデーの贈り物09

オフィーリア:(歌って)
  棺の顔に 布はなく
  (ララ ラ ララ ラン ララン ララン)
  お墓に 涙の 雨は 降る
 さようなら、いとしいひと。

レアティーズ: おまえが正気で復讐しろと言っても
  これほどまでには揺さぶられまい。

オフィーリア: あなたは「ズン ズンズン」で、あなたは
  「ズンドコ お呼び」って歌うのよ。あぁ、なんて糸車にぴったりなの!
  不実な召使よ、主人の娘を奪ったのは。

レアティーズ: たわごとには変に意味がある。

オフィーリア: 迷迭香よ、花ことばは追憶。おねがい、
  どうか覚えていて。菫草、ものおもい。

レアティーズ: 狂気のおしえとは! 追憶とものおもいとはおあつらえだ。

オフィーリア: 茴香と苧環はあなたに。芸香はあなたに、そしてわたしも。
  ひとは「日曜日のおめぐみ」と呼ぶわね。
  ああ、あなたには違う芸香がいるわ。
  雛菊。菫の花もあげたかったけれど、父さんが死んだときみんな枯れちゃったの。
  いい最期だったというわ――
  (歌って)いとしいこまどり、よろこびよ。

(シェイクスピア『ハムレット』4幕5場より)
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オフィーリアの歌(抜粋)

2009年05月04日 01:00

春風の中の鉢植え09-4
どうしてわかるの
 まごころ いつわり
いのりのいでたち
 ぼうしに つえに

    *

あのひとは死んだ
 死んだのよ
芝草にひたい
 石にはあしを

白雪のころも
 花におおわれ
なみだはあふれ おはかへと
 まごころとともに ふりそそぐ

    *

あしたは恋の日
 あさまだき
わたしが窓辺に
 待ってたあなたは
起きて 服着て
 窓をひらいて
知ってしまった
 恋の味

かみさま かみさま
 恥知らせ!
若い男は そんなもの
 責めやれ
寝るまえの言葉
 「妻にするよ」
布団にいなけりゃ
 妻にしたのに

オフィーリア:すべてうまくいくといいわね。我慢がたいせつ。
  でも、あたし泣くしかできない。冷たい土のなかに
  あのひとがいるかと思うとね。兄さんに知らせなくちゃ。
  お言葉をありがとう。車をまわして! おやすみなさい、みなさん。
  おやすみなさい、みんな。おやすみ、おやすみ。
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研究集会「太宰治と中原中也」

2009年05月03日 01:00

太宰治と中原中也(チラシ)
中原中也の会からお便りが来ました。
第13回研究集会のご案内です。
テーマは、なんと、「太宰治と中原中也」。行くしかない(笑)!

中也の生まれ故郷である山口に本部があるため、首都圏在住者としては面白そうなイベントがあってもなかなか参加できないので、たまに東京である研究集会はとても重要です。今回は絶対参加!!でもお金ないから、午後の部だけの参加かなぁ~…(朝起きられないし…)。しばらく悩み中☆

会員以外でも参加できるようです。

今回の開催場所は、日本近代文学館 ホール(3階)。
日時は、5月30日土曜日。
午前の部:無料。10時開場。
午後の部:500円。13時開場。
懇親会:5000円。会場は、COMME CHEZ VOUS。18時開始。

なんだか美味しそうなレストラン…。

楽しみです☆

オフィーリアの歌

2009年05月02日 21:57



あのひと やがて くるのかな
あのひとは また くるのかな
  いいえ いいえ 死んだのよ
  おまえの床へつきなさい
あのひとは にどと 来ないのよ

ひげのいろは 白い雪
髪のいろも 灰のいろ
  去った 去った
  嘆くは われら
神のおめぐみ ありますように
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