
【チャイルドハロルドの巡礼】第3編より、36連-45連
バイロン作 Shallot B.訳
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そこで斃れたのはもっとも偉大な者であって、最悪な者じゃない。
そいつの心意気は対照的なものが混じり合っていた。
あるときはもっとも気高いものに、
そして別のときには取るに足らないものに、執着心を持っていた。
極端過ぎるのだよ! きみが中庸なひとだったら、
きみの王座はまだその手にあったかもしれない、あるいは初めからなかったか。
豪胆さがきみの栄達と凋落をもたらした。
きみは今でさえ皇帝然とした物腰を取り戻し、
世の中を揺るがそうとしている、この世の<雷神>よ!
37
きみは<世界>の<征服者>であり、<虜>でもある!
<世界>はまだきみに慄くけれど、きみの放埓な名は
<名誉>の笑いものになっているほかは、もはや只の人だということ以外に、
人々の脳裏には浮かばないだろう。
<名誉>はかつて隷属者としてきみに言い寄り、
きみの獰猛さに諂うようになった。やがてきみは自分を[全能の]神だと思った。
驚愕した国々も逆らえずに同じように思い、
ひとときの間、きみの主張にはなんでも従っていた。
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おお ひとの上下を行き、貴賎のいずれにあっても
国々と戦い、戦場から逃れ、
諸侯の首を足蹴にしたと思えば、
屈従するように指示された足軽以下となった。
ひとつの<帝国>をきみは毀し、支配し、再建した。
しかし自分のちっぽけな情熱を支配することも出来なかったし、
どんなに人間の天性を深く見抜けても、自分のことを見抜けなかったし、
戦いに対する欲望を抑えられずに
魅惑的な<運命>が気高い星を立ち去ることも見抜けなかった。
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しかし教わったこともない生来の天性で
よくもきみの魂は渦巻く潮を耐え忍んできたものだ。
そいつは、<叡智>であれ<冷酷>であれ、根深い<傲慢>であれ、
敵にとっては胆汁や苦蓬なのさ。
きみが怯むのを見て嘲ろうと、
憎悪に満ちた敵の軍隊が差し迫ったとき、
きみは冷静になにもかもを耐え忍ぶ眼で微笑んだ。――
<運命>が甘やかしたお気に入りの子を棄てるときにも、
彼は降り積もる災禍に屈することなく立っていた。
40
いいときより悪いときのほうが賢明だったね。というのも、
[いいときには]野心がきみを早急に支配して、
民衆とその思想を常習的な嘲りや非難を顕在化させてしまったからだ。
嘲りの気持ちを抱くのはいいとしても、
唇や眉にそれを見せたり、
きみの立場をひっくり返されるところまで、
使うつもりだった道具を嘲っては駄目だ。
勝っても負けても、この世は虚しい。
それがきみに示されたってわけさ。で、そんな貧乏籤を引いてしまったひとにもね。
41
もし、断崖の岩に立つ塔のように、
きみが立つも崩れるも独りぼっちであるように作られていたならば、
民衆に対するそんな嘲りは、激震に勇敢に立ち向かうのに一役買ったことだろう。
だが、民衆の思想はきみの王座への道を舗装する踏み石だったのだ。
彼らの賞賛はきみの輝く最大の武器だった。
(きみの王権を示す「紫衣」を投げ捨てたのでなければ、)
きみはフィリップ王の息子アレクサンダー大王の役を演じるべきで、
民衆を嘲笑うような頑固者の哲学者ディオゲネスを演じるべきじゃなかった。
王笏を手にした皮肉屋どもには、この世はあまりに広すぎる塒だからだ。
42
血気逸る胸にはじっとしていることが地獄なのだ。
そしてそこにきみの破滅の種があった。
情熱と魂の運動がある。
それは自分のちっぽけな存在には留まっておれず、
野望のちょうどいい中庸を越えてゆくことを求める。
そして、一度火がついてしまえば、永遠に鎮火できず、
高邁な冒険を餌食とし、休息よりほかには飽きることがない。
心に情熱を抱く者、かつて抱いていた者すべてに、それは致命的なのだ。
43
情熱は影響力でひとを狂わせる狂人を生み出す。
<征服者>に<国王>、宗派や組織の<創設者>、
それに加えて<哲学者>、<詩人>、<政治家>、みんな
精神の秘泉をあまりに激しくかき乱し、愚弄する連中に
己が愚者とみなされる、黙っちゃいない輩どもだ。
羨まれるが、あまりにも望ましくない奴らだ!
その痛みはどれほどのものか!
ひとつの胸が開かれたなら、そこにはひとつの教えがある。
それは、輝きたいとか支配したいとかいう欲望を捨てるようにと告げるものだ。
44
彼らの吐息が人の心をかき乱す。
そしてその人生は嵐、その嵐に乗り、ついには沈むのだ。
けれどもそのように育てられ、戦うことに頑なで、
その日々が過去の苦難を生き延び、
平穏な暮れがたに溶けゆくものならば、
彼らは悲しみ、もはやどうでもいいという思いに囚われて死んでゆく。
燃料の注がれない炎がちらちら揺れて消えてゆくように、あるいは
うち捨てられた刀が、自らを腐食し、
人目に触れぬまま錆びついてゆくように。
45
山をのぼり詰めた者は、
とても高い頂が雲と雪に覆われているのがわかるだろう。
人々を凌ぎ、支配する者は、
下々の者どもの憎悪を見下げなくてはならない。
遙か高く、<栄光>の<陽>は輝いている。
そして遙か下には<大地>と<海>が拡がっている。
彼の周りには凍てついた岩があり、
彼の無防備な頭には轟音を立てて嵐が吹き付ける。
頂にのぼり詰めた労苦に報いてくれるものは、こんなものなのだ。
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