Informacion Celeste ―美容室の午後―

2005年05月15日 18:52

fabiana.jpg

 その美容室へ行くのは、実に9年ぶりのことだ。9年前――あの頃の私が今の自分を想像できただろうか。どことなく郷愁的な心持ちに浸りながら、扉を押した。
 この町の駅前には、町の規模と一致しないほどの美容室がある。隣の駅前と合わせると、もう本当に激戦区と言っても過言ではない。近年の美容室の増加に伴い、チェーンなどでは価格競争も激しく、その美容室はチェーンでもないから、状況的にはキビシイはずだ。その美容室の美容師さんは、技術的には、かなり素晴らしいと知っていた。ただ、私がこの町に住むようになってから思春期の頃、よく通っていたけれど、料金的には決して安くはなかった。だから、最近はどうしても安いほうへと足が向いてしまって、すっかり御無沙汰してしまったというわけだ。美容室自体、半年に一度、もうどうしようもなくなるまで髪を延び放題にしてしまう性分なので、あまり行かないほうだろう。
 さて、雨が降りそうだったが、午後の早い時間に、私はどうしても机に向かう気になれず、美容室を口実に、傘も持たずに出かけたのだった。
 星の数ほどある美容室の中で、雨の日曜日、私はこの美容室にいる。――そして、9年ぶりに同じ椅子に腰掛けてその美容師さんに髪を切ってもらっている。たくさんの美容師さんがいて、たくさんの客がいる中で、日曜の午後、私はその美容師さんの客で、延び放題の髪を整えてもらっている。よく、お客に話し掛ける美容師さんがあるけれど、私はあれこれ尋ねられるのが好きではない。自分のことを語るのを好まないからだろうか。美容室では、美容師さんの手の動きを見ているだけで楽しい。自分の髪が変化していく様は、解放感を帯びているようで面白い。
 やがて、優しくブロウしてもらっている間に、(今日はこれを目当てに訪れたようにも思うが)コーヒーサービスがあって、ほっとするような穏やかな気持ちで雨の音を微かに聞いた。
 激戦の影響か、お代がだいぶ安くなっていた。この技術でこの値段は勿体無いだろう。だが、やむをえないのだろう…。驚いて、そしてこの値段なら、次からここにこようと思ってしまう。
 外へ出ると、雨は上がっていた。激しく降っただろうが、すっかり爽やかな風に、雲の切れ間から青空が笑いかけていた。菖蒲が宝石で鮮やかに着飾って、青空に微笑んでいた。
 思わず口ずさむ。Fabiana Cantiloの『Solo me tengo a mi』。アルバム『Informacion Celeste』の中の一曲。三年前、アルゼンチンに凝ったときに、覚えた曲。彼女のハスキーな歌声が、大草原の青空を呼び覚ます。乾いたブエノスアイレスの街を思い浮かべる。マテ茶とドルチェデレーチェの匂いが立ち込める街角。
 美容師さんに軽くしてもらったのは、どうやら髪の毛だけじゃなかったらしい。雨上がりの丘の上で、こころはすっかりブエノスアイレスまで飛んでいってしまった。
関連記事


コメント

  1. cheb, | URL | JalddpaA

    こんにちは。

    TBありがとうございます。
    タイトルの「under water」の仏語版(?)のブログアドレスの「sous l'eau」てステキですね。
    私の好きなアーティストの曲で「J'i doemi sous l'eau」という曲があって思い出してしまいました。

  2. Shallot | URL | GosGM5ns

    Re: こんにちは。

    chebさん、コメントありがとうございます!
    TBさせて頂きました~☆

    >ブログアドレスの「sous l'eau」てステキ
    お褒めいただき光栄です☆
    実生活ではなかなか表面に出せない言葉や想いを
    いろいろと書き付けております。
    拙いブログですが、宜しくお願いいたします!*^-^*

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://sousleau.blog5.fc2.com/tb.php/26-1d297aaa
この記事へのトラックバック


Articles