『シリアの花嫁』鑑賞

2009年03月23日 02:15



久しぶりに映画館でイスラム映画を見てきました☆
今回は、『シリアの花嫁』@岩波ホール。

あちこちに点在する登場人物たちが、初めはバラバラの場面に描かれている。
やがて、まるで蜘蛛の巣の糸を手繰り寄せるように、シリアとイスラエルの軍事境界線へと終結する。
モナの結婚のひねもす一日を描いた、ドゥルーズ派の村を舞台にした作品。
構成がかなりしっかりしていて、隙のない完成度の高い映画です。


主人公の女性モナは、花嫁さん。多分優しいひと。
お姉さんのアマルは、とても強いひと。
姪(アマルの娘)のお嬢さんは、一生懸命。

ラミアの白い凧』の時にも感じたことですが、
軍事境界線を越えて結婚をするってことの重さです。
結婚は、村の(あるいは部族の)長老たちによって決められ、彼女たちには決定権も何もあったもんじゃない。
言われるがままに嫁ぐしかない。逆らえば、村八分。
(これは、モナの兄ハテムが長老達に逆らって、ロシア人の女性と結婚したことで描写されています。)
そして、彼女たちは軍事境界線を越えて、向こう側へ嫁ぐんですね。
メガホンで会話しなくちゃ聞こえないような距離の場所へ。
一度越えてしまったら、大好きな兄弟や姉妹とはもう二度と会えない。
帰ってきたら、家族の面汚しになる。=帰れない。

でも、ラミアは己の意志を貫いて、夫に愛想を尽かされて離婚の運びになり、
故郷へと再び戻ってきました。でも、そこには村八分が待っていただけ……。
だから、彼女は地雷地帯へ赴いたわけなのですが、

モナの場合は、もっと現実的でした。
結婚=幸せではないことをわかっていて、軍事境界線を越える。
逃げ出さない。逃げても、多分また同じことの繰り返しだから。
自分の意志で、自分の足で、境界線を歩いて越えていく彼女。
なんだか西陽を浴びて、女神様みたいでした。

そして、お日様に背を向けて、モナと反対側へと歩いていったアマル。
結婚生活に嫌気が差して、今自ら福祉大学への進学の道を進もうとする彼女は、
あれだけ女性に不自由な境遇にありながら、自らの意思決定をしっかりしていて、
女性の意志を感じさせる、とても強い女性だと思いました。
(個人的に、アマルが大好きな旦那アミンがちょっと可哀想でした…。
そう思っちゃいけないかな?^-^;)

フランス人の国連職員の女性ジャンヌと、イスラエル側の役人と、シリア側の役人の遣り取りは、
国の決定がいかに個人の境遇を翻弄しているかを象徴していたようでした。

ゴラン高原は、今もまだメガホンで会話しているんですよね。
なんだか胸のあたりが熱くなります。

毎日新聞の映画紹介の記事はこちら
詳しいあらすじはこちらの記事がオススメです。
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