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おはなし

2004年07月21日 01:25

 ある王子は、低俗な寛大さという美点にしか決して一生懸命になれなかった自分に、厭気が差していた。彼は驚くべき愛の革命を予見していた、しかも女たちが天蓋と贅沢で飾られた嬌態をつくよりはマシなことができるということにも気付いていた。彼は真実を、本質的な欲と満ち足りた時間を、見てみたかった。それが信仰の逸脱であったとしてもそうでなくても、彼は望んでいた。少なくとも、充分に絶大な人間的権力を、彼は持っていた。
 ――彼を識った女たちは皆、惨殺された。美しい花園の、何という蹂躙! 刃の下で、女たちは彼を祝福した。彼は全く新しい女どもなど、要求しなかった。――女たちは再び現れた。
 狩や酒宴のあとで、彼は自分に従った全ての者を殺した。――皆、彼に従った。
 彼は贅沢な獣の喉を斯き切って暇をつぶした。宮殿に炎を放つように命じた。人々に襲いかかり、ずたずたに切り刻んだ。――人間も、金色の屋根も、獣も、再び存在した。
 人は、殺戮の中で恍惚とし、惨殺によって若返ることができるのだろうか! 人々は不平を言うこともなかった。助言を申し出ることもなかった。
 ある晩、彼は堂々と馬を走らせていた。まさに言葉にならない、人にも打ち明けられないほどに美しい、一体の精霊が現れた。彼女の表情と物腰からは、多様で複雑な愛の約束が浮かび上がっていた! まさに言い難く、耐えられないほどのしあわせな約束が! 王子と精霊は、多分、本質的な精気の中へと消えていった。どうして彼らが死んだ筈がないだろう? つまり彼らは共に死んだのだ。
 しかし、この王子は逝去なさったのだ、彼の宮殿で、当然の年齢で。王子は精霊だった。精霊は王子だった。

 巧みな音楽が、ぼくらの欲望には欠けている。
 詩編Illuminationsに含まれている作品。
 私はこういう作品が大好きなんです♪ 筑摩文庫の『ランボー全詩集』(宇佐美斉 訳注)に、この作品はドラクロワのSardanapalus王の絵を思い出させると書いてありまして、そこがめちゃめちゃ気になりました。Sardanapalusは、イギリスロマン派の詩人Lord Byronも題材にして物語を書いていますので、非常に興味深い。
 ところで、このネタがRimbaudにかかると、こんなにも美しく、それでいて悲しいような、しあわせなような、お話になってしまうのですね。
 井上究一郎氏は、『アチュール・ランボーの「美しき存在」』(筑摩書房)という本の中で、この王子も精霊も、Rimbaud自身であると言っています。私も、この王子は見るからに彼の生き写しだなぁ~と思いましたし、精霊=王子ならば、精霊も彼自身だと思いました。
 自分に正直に生きた、この「Conte」の中の「Prince」は、生きることの本質を知ったんだと思います。生きることがどういうことがを悟ってしまったから、自分自身に出会えた。そうして、自身という非生産的な心理状態の中へと没入することが、まさに象徴的な「死」を意味していたのではないかなァ…。 宮殿で、じいちゃんになって、死んだ「Prince」。でも、こころはとっくの昔に死を迎えていたんだってことのように思われます…。
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