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太宰治「春の枯葉」より

2009年04月30日 01:44

水仙09の2

(野中)(菊代のほうに背を向け、外の景色を眺めながら)もう、すっかり春だ。津軽の春は、ドカンと一時(いっとき)にやって来るね。
(菊代)(しんみり)ほんとうに。ホップ、ステップ、エンド、ジャンプなんて飛び方でなくて、ほんのワンステップで、からりと春になってしまうのねえ。あんなに深く積っていた雪も、あっと思うまもなく消えてしまって、ほんとうに不思議で、おそろしいくらいだったわ。あたしは、もう十年も津軽から離れていたので、津軽の春はワンステップでやって来るという事を、すっかり忘れていて、あんなに野山一めんに深く積っている雪がみんな消えてしまうのには、五月いっぱいかかるのじゃないかしらと思っていたの。それが、まあ、ねえ、消えはじめたと思ったら、十日と経たないうちに、綺麗(きれい)に消えてしまったじゃないの。四月のはじめに、こんな、春の青草を見る事が出来るなんて、思いも寄らなかったわ。
(野中)(相変らず外の景色を眺めながら)青草? しかし、雪の下から現われたのは青草だけじゃないんだ。ごらん、もう一面の落葉だ。去年の秋に散って落ちた枯葉が、そのまんま、また雪の下から現われて来た。意味ないね、この落葉は。(ひくく笑う)永い冬の間、昼も夜も、雪の下積になって我慢して、いったい何を待っていたのだろう。ぞっとするね。雪が消えて、こんなきたならしい姿を現わしたところで、生きかえるわけはないんだし、これはこのまま腐って行くだけなんだ。(菊代のほうに向き直り、ガラス戸に背をもたせかけ、笑いながら冗談みたいな口調で)めぐり来(きた)れる春も、このくたびれ切った枯葉たちには、無意味だ。なんのために雪の下で永い間、辛抱(しんぼう)していたのだろう。雪が消えたところで、この枯葉たちは、どうにもなりやしないんだ。ナンセンス、というものだ。

菊代、声立てて笑う。

(野中)(わざとまじめな顔になって)いや、笑いごとじゃありませんよ。僕たちだって、こんなナンセンスの春の枯葉かも知れないさ。十年間も、それ以上も、こらえて、辛抱して、どうやら虫のように、わずかに生きて来たような気がしているけれども、しかし、いつのまにやら、枯れて落ちて死んでしまっているのかも知れない。これからは、ただ腐って行くだけで、春が来ても夏が来ても、永遠によみがえる事がないのに、それに気がつかず、人並に春の来るのを待っていたりして、まるでもう意味の無い身の上になってしまっているんじゃないのかな。

太宰治「春の枯葉」青空文庫より抜粋)


自宅だとついつい飲みすぎる夫の酒の肴に、文学談義が飛び出しました。きっかけは、NHKのJブンガクという番組。そして夫が最近書店で漱石の新書を見かけたという話になり、漱石の話題へ。

夫は学校でそうとう詳しく『こころ』を読んだようですが、私は高校2年のときにサラリと読んだだけ。むしろ20歳のころにハマって読んでいたほうの印象が強いです。
お互い20代のころは、日本文学をいろいろと読んだ覚えもあり、どちらかというと夫のほうが詳しいようですが、それでも漱石&太宰はマイテリトリー。

のんだくれの夫を放置して押入れの詮索開始。太宰を発見。
久しぶりに大好きな「春の枯葉」をちらりと読みました。

今の自分、十年もそれ以上もこらえて、辛抱して、一生懸命やってはいるものの、春の枯葉になりかねないなぁと思いつつ、でもそれでも私は春の枯葉の「意味の無い」美にとても惹かれるので、それでもいいかなぁとカッコつけてみたりして☆
こういう、太宰の「ポオズ」がとても好きです☆

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(2009/04)
小谷野 敦

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