スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「太宰治と中原中也」@研究集会報告

2009年05月30日 23:12

4月の新宿09の8

第13回中原中也の会研究集会「太宰治と中原中也」(午後の部)へ行ってきました!

場所が日本近代文学館だったので、東大駒場駅からてくてく歩いていきました。なんだか大きなお屋敷というよりもお城みたいなおうちがいっぱい並んでいて、どこも素敵な感じにお花が咲いていたりして、なんだか夢心地…(笑) 見慣れないのでキョロキョロしちゃいました(←場末の小娘ですんで…/汗)

受付を済ませて開場に入ると、なんか頭良さそーな方々がいっぱい…(><;)
それでも、昔ほど気後れしなくなりました(汗)。
前から3列目の、大学で授業を受けるときのマイポジションを確保。机がないのが痛かったです~…。 メモとるだけで、首がパリパリいいます…(肩凝り悪化)。とりあえず、勉強準備完了。

 1時40分から、高橋源一郎さんが、「日本語の冒険 太宰治と中原中也」というテーマでとっても楽しい話術で話されました。
 年譜を並べてみると、2歳しか違わないし、共通項も多く、たとえば昭和11年に、それぞれの理由で病院に入院している(中原は精神、太宰は麻薬)から、フィクションの中では出会っているでしょうね、というジョーク(?)もありました。
 結果として、中原よりも太宰のほうが永く生きるのですが、太宰は中原について生前殆ど言及をしておらず、しかしながら確実に意識していただろうという指摘は興味深かったです。作家が最も影響を受けた文学家については殆ど言及しない(e.g.二葉亭四迷のチェホフ)という具体例があって、私は頭の中でランボーのボードレールの影響を思わず浮かべておりました。
 中原と太宰の共通項として、もうひとつ、昔友人達に「私、太宰or中原が好きです☆」って言うのがはばかられた時代があったそうです。でも、80年代以降、堂々と「私、太宰or中原が好きです☆」って言えるようになったことが、実は社会の前線で受け入れられるようになったことを象徴しているのではないか、ということでした。
 太宰のひとつの特徴として、最初と最後の行がカッコイイ! ってことを仰られていて、たとえば現代作家の山田詠美の『風味絶佳』(短編集)では、それが踏襲されていることなどを踏まえ、<目立つ>文体について言及されました。他の日本文学作品(たとえば志賀直哉)はおおよそつめたく、かたく、透明な文体を目指していることに対し、太宰は目立ちすぎるフレーズを次々に投入している。これが中原との大きな共通項として挙げられるそうです。
 中原の場合も同様で、記憶に残りやすい、目立つフレーズが多い。歌謡の世界と大きく幅を同一にするフレーズがたくさんあります。
 日本の文学は、内面に進化を隠しており、表面は目立ってはならないという暗黙の合意があり、太宰はそれに大きく違反し、表面に書いてあるから、表面を見ろ、と言っているようです。(ここで私はボードレールとかワイルドなんかを思い浮かべたのは言うまでもなく…。ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』の一節を思い出しました。)
 太宰は、作家は読者に対するサービス業であり、心づくしをするのが仕事だと思っていたらしいです。彼は講談や落語を好み、これらが含有する日本の古典的エンターテインメント(=もてなし)をそのまま小説に取り込んでいたとのこと。その巧みの技のひとつが、colloquial(=口語)です。
 太宰も中原も、とても耳のいい、音楽的な作家/詩人でした。太宰は「女生徒」や「斜陽」に挙げられる、女性の語り口を好み、中原は「秋」に挙げられる口語表現。日本文学の従来の文体(つめたく、かたく、透明な文体)は、透明を装うことで深いものがあるかのように見せかける(高橋さんは、これを<偽装内面>と呼んでいます)のですが、太宰はこれに嫌悪感を抱いていたのではないかということです。
 私は、ちょっと疋田雅昭先生の『接続する中也』の最初のほうに書かれていた中原の文体論のところを思い出していました。高橋さんが「太宰は現在の表面に浮かぶうたかたのようなことばにも、埋められて埋葬された過去の日本語にも飛び、あらゆる手段を駆使することで、読者の耳に残ることばを書き上げた」という指摘に、中原の口語と文語の巧みな使い分けを思い出したわけです。
 最後に、高橋さんはこれからの日本文学の未来についてお話されました。口語という巨大な潮流が、これからの文学の柱になるのではないか、という預言でした。

2時55分からはシンポジウム「道化とその背後 ―1930年代の太宰治と中原中也」でした。こちらでは東郷克美先生と北川透先生がパネリストでした。(かの有名な北川さんを肉眼で見れると思うと、ちょっとドキドキでした/汗)
 道化とは、レトリックでは模倣(=ミメーシス)からパロディーへと向かうことであり、また自嘲的な態度でもあることが指摘されました。なんかランボーの自己劇化みたいだなぁと感じた次第です。

 ところで、そのシンポジウムの最後の、質疑応答のとき、ミラクルが起こり、だれも質問しなかったら、司会の伝馬先生がななな、なんと! 疋田先生をご指名ぃー!>▽< 思わず振り返っちゃったんですが、残念ながら疋田先生を確認できず…(;-;) でも、想像通りの清々しい爽やかなお声がスピーカーから聞こえてきまして、的を絞った的確な質問をサラリとなさっていました…姫系キラキラさすがです~~*>▽<* 

 最後の最後のほうで、道化→ハムレットの話になったとき、無駄にテンションあがったのは内緒です絵文字名を入力してください
 さて、私のバイロン(&ランボー)のお勉強に一役かってくれるかなー?
関連記事


コメント

  1. まさ | URL | -

    お逢いできてたのね^^

    朝からいらしてたの? あ、でも朝もしゃべったから朝は居なかったのかしら。
    声かけてくれればいいのに~。

  2. Shallot Barbarina | URL | -

    はい、行ってました!

    まさ先生、こんばんは!
    すいません、朝は滅法弱くて。。。v-356
    午後から会場にいました~! 私、なんかめっさ緊張してました(笑)
    そのうちお目にかかれることを楽しみにしてます~!v-353

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://sousleau.blog5.fc2.com/tb.php/576-2be1b1fe
この記事へのトラックバック


Articles


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。