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歴史的な夕暮れ

2004年07月24日 01:29

 たとえば、この世の金銭沙汰から遠く離れた、純朴な旅人がみつかるような夕暮れならいつでも、巨匠の手は草原のチェンバロに命を吹き込むんだ。沼、妃やちぃ姫を思い出させる鏡の奥底で、人々はトランプをしている。聖女やヴェール、琴糸、伝説にある色合いが、夕暮れの空には浮かんでる。
 狩人たちと遊牧民が通り過ぎゆくと、彼は身を震わせるんだ。喜劇は芝草の舞台から滴り落ちる。それから、くだらないショットでは貧乏人と弱者どもの苦境だってさ!
 彼のガンジガラメの幻に対して、ドイツは月に向かって足場を組み上げる。タタールの砂漠が照らし出される。天空の帝国の中心では古代的な反乱が蠢いている。国王の階段と王座の傍で――蒼褪めて平な小世界がアフリカと西洋を築き上げつつある。やがて月並みな海と夜とのバレエ、価値のない化学、それから有り得ない旋律。
 郵便馬車が我々を降ろすところにはどこでも、同じような俗っぽい魔法! 最も原理的な物理学者は、この個人的な雰囲気、つまり肉体的な後悔という霧に流されてしまうことはもはや可能ではないと感じている。その確認自体が既に苦悩なのだ。
 厭だ! 蒸風呂のような暑さの中、荒れ騒ぐ海洋、地下の炬、激昂しやすい惑星、そして筋の通った絶滅の瞬間。聖書の中で、そしてノルンによって殆ど悪意なく指摘されてきた確実なこと、誠実な人には注意させたのだろう。――そうしている間にも、それはまったく伝説的な結果などではないのだろう!
<Soir historiqueについて>
 草原と砂漠。どことなくアジア的な視覚から入っているこの詩は、Illuminationに含まれている詩です。この世の中を一つの喜劇として視覚化することは、Rimbaudの詩にはよく見られる手法ですね。ここでもヤハリ『喜劇』としての現世を描き出そうとしています。
 実際に月に辿り着いたのはドイツではなかったけれど、彼の生きていた時代を考えると、既に人が月へと向かうことは予見できていたんですね…。そしてこの混沌。自分の生きている今の時代を考えてしまいます。。。
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