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6月の夜に思うこと

2009年06月26日 18:32

ちいさいおはなたち09春

「またですか?」ってつっこまれそうですが、どうしても昨日の夜から書きたくてしょうがなかったんで、見てやってください。




【初夏の夜に】 中原中也 作

オヤ、蚊が鳴いてる、もう夏か――
死んだ子供等は、彼の世(あのよ)の磧(かはら)から、此の世の僕等を看守つてるんだ
彼の世の磧は何時でも初夏の夜、どうしても僕はさう想へるんだ。
行かうとしたつて、行かれはしないが、あんまり遠くでもなささうぢやないか。
窓の彼方の、笹藪の此方(こちら)の、月のない初夏の宵の、空間……其処に、
死児等は茫然、佇み僕等を見てるが、何にも咎めはしない。
罪のない奴等が、咎めもせぬから、こつちは尚更(なほさら)、辛いこつた。
いつそほんとは、奴等に棒を与へ、なぐつて貰いたいくらゐのもんだ。
それにしてもだ、奴等の中にも、十歳もゐれば、三歳もゐる。
奴等の間にも、競争心が、あるかどうか僕は全然知らぬが、
あるとしたらだ、何れにしてもが、やさしい奴等のことではあつても、
三歳の奴等は、十歳の奴等より、たしかに可哀想と僕は思ふ。
なにさま暗い、あの世の磧の、ことであるから小さい奴等は、
大きい奴等の、腕の下をば、すりぬけてどうにか、遊ぶとは思ふけれど、
それにしてもが、三歳の奴等は、十歳の奴等より、可哀想だ……
――オヤ、蚊が鳴いてる、またもう夏か……

                           (1937.5.14)



先日、真夜中近くに、駅で電車を待っているときの出来事。
ひどく疲れていたのですが、そのとき、本当に蚊がいたかどうかはわからないけれど、
蚊の鳴く音が聞こえてきました。

で、中原のこの一篇を思い出しました。

六月の頃は、天空に何か重たい空気のようなものが垂れ込めていて、
何か「霊的なもの」を感じることが多いです。
古代においては鬼や妖怪の類として認識されたものも多いと思います。
でも、多分、現代とは空気が違うから、今私が感じている重たい空気は現代の霊や鬼として
生きているのではないかしら。
ケルトの人々が神々や妖精、亡霊を認識したように、
私も「なにかただならぬもの」を感じられたらいいなぁと思いつつ、
どっちかっていうと、『ぬら孫』の牛鬼に出くわしたかったりもして(笑)。

中原はこの「なにかただならぬもの」を子供たちの霊だと感じたのか、
現世とあの世の境界線がもうなくなっていて、意識は既にあの世の視点になっているのですね。
鬼の世界と人間の世界もきっとなくなっているでしょう。
私の存在している「6月の夜」には、鬼になった入鹿が降りてくるような気がします~(笑)
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