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中原中也「無題」

2009年11月19日 01:30

サ牧場のお花09

無題
     中原中也 作 (『山羊の歌』「みちこ」より)

   Ⅰ

こひ人よ、おまへがやさしくしてくれるのに、
私は強情だ。ゆうべもおまへと別れてのち、
酒をのみ、弱い人に毒づいた。今朝
目が覚めて、おまへのやさしさを思ひ出しながら
私は私のけがらはしさを歎いてゐる、そして
正体もなく、今茲に告白をする、恥もなく、
品位もなく、かといつて正直さもなく
私は私の幻想に駆られて、狂ひ廻る。
人の気持ちをみようとするやうなことはつひになく、
こひ人よ、おまへがやさしくしてくれるのに、
私は頑なで、子供のやうに我儘だつた!
目が覚めて、宿酔の厭ふべき頭の中で、
戸の外の、寒い朝らしい気配を感じながら
私はおまへのやさしさを思ひ、また毒づいた人を思ひ出す。
そしてもう、私はなんのことだか分らなくて悲しく、
今朝はもはや私がくだらない奴だと、自ら信ずる!

   Ⅱ

彼女の心は真つ直い!
彼女は荒々しく育ち、
たよりもなく、心を汲んでも
もらへない、乱雑な中に
生きてきたが、彼女の心は
私のより真つ直いそしてぐらつかない。

彼女は美しい。わいだめもない世の渦の中に
彼女は賢くつつましく生きてゐる。
あまりにわいだめもない世の渦のために、
折に心が弱り、弱々しく躁ぎはするが、
而もなほ、最後の品位をなくしはしない
彼女は美しい、そして賢い!

嘗て彼女の魂が、どんなにやさしい心をもとめてゐたかは!
しかしいまではもう諦めてしまつてさへゐる。
我利々々で、幼稚な、獣や子供にしか、
彼女は出遇はなかつた。おまけに彼女はそれと識らずに、
唯、人といふ人が、みんなやくざなんだと思つてゐる。
そして少しはいぢけてゐる。彼女は可哀想だ!

   Ⅲ

かくは悲しく生きん世に、なが心
かたくなにしてあらしめな。
われはわが、したしさにはあらんとねがへば
なが心、かたくなにしてあらしめな。

かたくなにしてあるときは、心に眼
魂に、言葉のはたらきあとを絶つ
なごやかにしてあらんとき、人みなは生れしながらの
うまし夢、またそがことはり分ち得ん。

おのが心も魂も、忘れはて棄て去りて
悪酔の、狂ひ心地に美を索む
わが世のさまのかなしさや、

おのが心におのがじし湧きくるおもひもたずして、
人に勝らん心のみいそがわしき
熱を病む風景ばかりかなしきはなし。

   Ⅳ

私はおまへのことを思つてゐるよ。
いとほしい、なごやかに澄んだ気持の中に、
昼も夜も浸つてゐるよ、
まるで自分を罪人ででもあるやうに感じて。

私はおまへを愛してゐるよ、精一杯だよ。
いろんなことが考へられもするが、考へられても
それはどうにもならないことだしするから、
私は身を棄ててお前に尽さうと思ふよ。

またさうすることのほかには、私にはもはや
希望も目的も見出せないのだから
さうすることは、私には幸福なんだ。

幸福なんだ、世の煩ひのすべてを忘れて、
いかなることとも知らないで、私は
おまへに尽せるんだから幸福だ!

   Ⅴ 幸福

幸福は厩の中にゐる
藁の上に。
幸福は
和める心には一挙にして分る。

  頑なの心は、不幸でいらいらして、
  せめてめまぐるしいものや
  数々のものに心を紛らす。
  そして益々不幸だ。

幸福は、休んでゐる
そして明らかになすべきことを
少しづつ持ち、
幸福は、理解に富んでゐる。

  頑なの心は、理解に欠けて、
  なすべきをしらず、ただ利に走り、
  意気鎖沈して、怒りやすく、
  人に嫌はれて、自らも悲しい。

されば人よ、つねにまづ従はんとせよ。
従ひて、迎へられんとには非ず、
従ふことのみ学びとなるべく、学びて
汝が品格を高め、そが働きの裕かとならんため!


茲(こと)  頑(かたく)な  我儘(わがまま)  宿酔(ふつかよひ)  厭(いと)ふ  自(みづか)ら
躁(さわ)ぎ  而(しか)も  嘗(かつ)て  獣(けもの)  出遇(であ)はなかつた  識(し)らず
眼(まなこ)  生(あ)れし  索(もと)む  勝(まさ)らん
煩(わづら)ひ
厩(うまや)  藁(わら)  益々(ますます)  裕(ゆた)か



11月に突入してから、本当にいろいろなことがいっぺんにワーっと湧いて降ってきて、私の生活がもう何だか分からないくらいにめちゃめちゃになって、ま、それにひとえに私の不徳の致すところなのですが、毎日ランボーの『地獄の季節』を読み返しているような有様です。

人間の脳は本当に現実を受け入れたくなくなると必然的にシャットダウン=お陀仏になるらしいので、いまのところ私はまだシャットダウンされていないのだから、多分まだ受け入れられているのだろうと思います。

ただ、今日の中也の詩にもあるように、私は「おまへのことを思つてゐるよ。/いとほしい、なごやかに澄んだ気持の中に、/昼も夜も浸つてゐるよ、/まるで自分を罪人ででもあるやうに感じて。//
私はおまへを愛してゐるよ、精一杯だよ。/いろんなことが考へられもするが、考へられても/それはどうにもならないことだしするから、/私は身を棄ててお前に尽さうと思ふよ。//またさうすることのほかには、私にはもはや/希望も目的も見出せないのだから/さうすることは、私には幸福なんだ。//幸福なんだ、世の煩ひのすべてを忘れて、/いかなることとも知らないで、私は/おまへに尽せるんだから幸福だ!」(Ⅳより)と思う次第です。

「精一杯」。
昔から、大好きな言葉のひとつ。
私はそうありたいとおもって、いつも思っていたのです。
そう、これからも…




PS:
ところで、最近18歳のSくんが、中原中也の詩集を読み始めました。
まだまだ読みが若々しくて、興味深いです~(笑)
これから『在りし日の歌』をどう読むか、楽しみでもあります。
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