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elegy for the Drone

2010年12月04日 20:46



elegy for the Drone(または「I」の意味)

     "We are Borg... You will be assimilated... Resistance is futile..."(The Borg(『Star Trek』))

ひとは
大きくなって
「集合体」へとのみこまれてゆく
「個」としての 感情は
思いのほか 重荷でしかない

のかもしれない…

若いころ
「抵抗」していたあのころ
社会の秩序の在りかたに
死んだような眼を閉じながら
通勤列車に揺られる「ドローン」を見て

あのころ
「個」が「個」として生きられる
そんな社会を 職場を 世の中を
夢に見ながら
「己」の考えを 強くしていた
あのころ

やがて
吸収と同化が徐々に始まった
最初は涙の中で
やがて神経中枢へ
いつしか
無感覚になって

「集合体」へとのみこまれていった
「個」としての感情など
無意味なもの
抵抗も 無意味だった のか
それとも 沈潜化しただけ なのか

気づけば
機械生命体のように
日々の業務を遂行しているではないか
「個」はもはや 排除された のか

私は 私は
「我々は」じゃない
誰かの何かではないし
どこどこの何でもない
私は 私
この感情は 消えない

消えないから
消せないから

I am...

抵抗は 無意味じゃない
と 信じたい じゃない

同化されながら
意識が遠退いている
さあ 今宵も月が高い
また明日 太陽が昇るまで
眠りにつくのだ



英語の「I」と日本語の「私」には大きな隔たりがあるなぁと今更実感した一日の思考回路。
日本語の「私」という発話は、常に誰かとの意識の連携を想起させるもので、
英語の「I」やフランス語の「je」は、「個」としての一人称なのかな、と。
だから、『ビバリーヒルズ青春白書』や『スタートレック』で登場人物たちが「I am...」って言うときと
日本語で「僕は/私は」と発話する時とではまったく意味が違うのではないか…。

アメリカのひとが自分の意見をガッチリ言えるのが最近本当に羨ましい…。
それで喧嘩してもちゃんと仲直りできるんですもの。
日本人はそうはいかない…。

などと考えていたら一日経過してしまいました…。

つい、忙しかったり思うように作業が進まなかったり、苛々したりすると、
うっかり「ボーグ(機械人間)になりたい」って思ってしまったりすることが多くて…。
腰や肩は凝る一方だし、頭痛はするし体は重いし…。
いっそ「ドローン(Drone)」になったら楽だろうなぁとさえ思ってしまったりします…。

Bon Joviの精神で、We aren't born to follow、強がってみたりし続けてはいますが、
たまに(もともとへたれですから)かなり憂鬱になってしまったりします…。

ああ、なんだかアメリカのひとがBorgを怖れる気持ちがわかりました。
でも、なんかある意味で楽な生き方の一形態な気もしてきてしまった今日この頃です…。
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