lost

2011年03月19日 15:30

温かい陽射しは、春の訪れを告げていた。
鳥たちが、優しく空の高くでさえずっていた。
都会の煩雑な事務所では
午後の紅茶が入れられたばかり。

そして、海の深く、
深い深い海の底で、
大地が熱い溜め息をついた。

海と空の神様はそれを聞いて、
普段は優しい波に
牙を剥かせた。

狂い、のたうちまわる波が、
おたけびをあげて、
美しい港の町々に迫ってきた。

美しい港では、
若い漁師が、父親から継いだ
真白な舟で、
明日から漁をはじめようと決意していた。

岸辺に作られた養殖場では
出荷前の牡蠣が大きく育ち、
そのときを待っていた。

幼い子供たちは、
春の訪れを祝い、
花々とともに町を駆け回っていた。

美しい畑では、
ビニルハウスに陽が降り注ぎ、
水面のように輝いて、
中では真っ赤な苺が熟れていた。

工場では、職人気質の機械と人が
いつものように規則正しく時を刻み、
ぴかぴかの車たちは
海を渡る明日に胸を膨らませていた。

そして、
決意も、期待も、望みも、……

今朝喧嘩した弟と仲直りできてなかった。
昨夜やつあたりした夫に、「ごめんね」って言ってなかった。
さっき説教した娘は傍にいない、もっと優しく言えばよかった。
生意気言った父に、まだ謝れていなかった。

悲しみも、後悔も、怒りも、……

波はすべてを押し流し、
狂ったように町に流れ込み、思い出の路地を踏み躙り、
花を陵辱し、樹木を殺戮し、
高台に逃げた人々は、その光景から眼を逃すことができなかった。

――都会の煩雑な事務所では
大地の熱い溜め息で、本棚が倒れ、
床は無力な知識の海になった。


それから 私は
うすっぺらな箱に映る美しかった港の町々の様子を見て、
見ていることしかできなかった。

私は闇に脅えながら
遠い港の町々の、
悲鳴にも似た
大地の声を聞き続けていた。


3月11日金曜日、午後2時46分。

あれから、一週間以上が経ちました。
自分に出来ることをできるだけしてきたつもりですが、日常を取り戻すだけで精一杯で、
テレビから流れる被災地の状況には胸の塞がれるような思いになりながら、何もできずにいました。

ラジオでは、献血を謳っていましたし、
知り合いのイギリス人が「僕には何もしてあげられないから、明日献血に行くんだ」と言っていたのは
先週の月曜日。しかし、あいにく自分は生来貧血で、これ以上血を採るわけにもいかず、
だからといって、募金できるお金も余裕がなくて、…
大好きな作家さんは楽しみにしていた個展を自粛され、他の美術展も相次いで見合わせが続き、
電力供給の影響による計画停電で、出勤時間が少し長くなり、
こんなに長くて無力な一週間は初めてでした。

昨夜はやっと余震のない夜で、
(有難くも)布団に入ってから詩を書こうと思いました。
気仙沼は、前から一度訪れたいと思っていた場所で、とうとう行かずじまいになったまま、
こんな酷い状況になってしまって、
さらに、数年前に訪れた福島の「アクアマリンふくしま」。いわきの海に隣接した、素敵な水族館。
三陸沖の潮目をダイナミックに再現した水槽には、陽に照らされた魚の群れが本当に美しかったのを
今でも鮮明に覚えています。ほかにも、海底の希少な生き物もたくさんいました。
それが、「約22万点が管理できない状態。魚は徐々に弱って死んでいっており、手の施しようがない状態」(時事ドットコム)。
震災や津波の犠牲者は、人間だけじゃない。
遠い海から連れてこられた魚たちの命もまた息絶えようとしているんですね…
私の被害といえば、部屋の本棚が1台完全大破したくらいで、(停電以外)ほかに被害を受けたわけではないし、
ライフラインも前と変わらず、有難く生活できる状況ですが、こうして思い入れの深い場所に震災の影響が及ぶと、
やはりやり切れません。
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