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1人称の迷宮

2012年07月07日 18:54

最近頭から離れないことのひとつに、
1人称のことがある。

I am Paul, I decided to marry Jane.

と言ったとき、日本語では

「私はポールです、私はジェーンと結婚することにしました。」

と訳すけれど、
このときの「I」と「私」には意思の働き方が違うような気がする。

英語の「I」、フランス語の「je」には、自分がどうか、という意識の決定がある。
だから「I」「je」は他者とは切り離されて、まったく自分がどうするのか、どうなのか、
というように思考が働いている。

それに対して、日本語の「私」には、発話をしている相手ならびに周囲との関わりが問題で、
それによって一人称の呼び方も変わる。
「俺」やら「私」やら「あたし」、「うち」、「僕」、「拙」、「小生」、…など
無数にあるような気がする。よしんば無数じゃなかったとしても、かなり多いはず。
「が」や「は」の使い方も違う。
「私が」と「私は」では大きく。

中原中也もランボーも、自分の母語によって思考が統制されていて、
母語の支配からの脱却は限りなく不可能に近いっていうようなことを書いていたけれど…。

I am Shallot.
I live as I like.

こんなふうに書くほうが、日本語で書くよりも、ずっと他者との関係性が薄い気がしてね…。

独り言でした!
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